「生ける水を飲む」

2021年8/15 第三主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 


音声メッセージです。

 

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聖書】 ヨハネの福音書 第4章 14~15節
:14 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
:15 彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 

メッセージ概要

 暦の上では立秋が過ぎ残暑となっていますが、今、雨が降り続き洪水が心配されています。
イエス・キリストは熱い日中サマリヤを通られました。ヤコブが掘ったスカルの井戸の傍らで女の人と話をしましたが、このことはサマリヤのリバイバル、すなわち多くの人が救われるきっかけとなったのです。

1,生ける水―聖霊
 イエス様はサマリヤの女性に水を飲ませて欲しいと頼まれました。ユダヤ人がサマリヤ人に、しかも女性に話しかけることはあり得ませんでした。その中でイエス様は「生ける水」のことを話されました (10節)。

 私たちには水が必要です。水なしに生きていけません。それと同じように私たちが信仰を持って生きるために欠かすことのないものがあるのです。それは「聖霊」です。実はイエス様が最も言いたかったことは「生ける水を飲む」すなわち御聖霊を私たちの内にいただくことを語られたのです。

 このサマリヤの女性はある意味、ルカ15章に出てく る放蕩息子と同じではなかったかと思います。放蕩息子もこの世の富を求めて、家を出て豊かになることを目指して遠い国に行きましたが、父親からもらった財産を使い果たし無一文になったのです。この女性も身を持ち崩して、熱い中に人目を避けて水を汲みに来なければならなかったのです。言わばのどが渇いているよりも 、心が渇き満たされない毎日を、少しの水を汲むために熱い中、水を汲みに来なければならない生活をしていたのです。

 私たちももしかすると、この女性のように生きるために毎日しんどい中で水を汲み、少し飲んではいのちをつなぐような 生き方をしているのではないでしょうか。

 本当の救い、神様の恵みは何か。それは神様ご自身が、私たち一人一人の心に井戸を掘って下さるということです。心の中に井戸ができれば、そこから生ける水すなわち御聖霊が泉のようにわき上がり、私たちを潤し、潤された園エデンの園の様になり、豊かになるのです。 この世の水を求めるなら、私たちは満たされることはありません。得たとしてもまた心が渇くのです。富や名声は一時的なものです。私たちをいつも永遠に潤すことはできないのです。

 ですから私たちは、イエス様が与える水を求めなければなり ません。神様は私たちに心の底からわき上がるいのちの水、御聖霊を豊かに与えて下さることができるのです。

2,生ける水を求める
 ルカ15章の放蕩息子は遠い国で豊かになったでしょうか。逆に貧しくなり、持っていたものまでも失ってしまったのです。彼はそのとき、父のもとに帰ろうと決心しました。何もかもお詫びして、雇い人にしてもらおうと言って父のもとに帰ったのです。それは一言で言うなら悔い改めです。彼は悔い改めたのです。

 それと同じようなことがサマリヤの女性に起こりました。彼女は「主よ。私が渇くことのないように、そ の水を私にください」と求めたのです。その求めは真剣でした。真実に求めるとき神様は真実に応えて下さいます。イエス様は「あなたの夫を呼んで来なさい」と確信を突かれたのです。夫はいなかったのです。以前は5人夫があり、今は男性と同棲していたのです。それが彼女の問題であり、すべてを告白したのです。

 言うなれば固い岩盤があり、その下に地下水が流れているようなものです。その岩盤を砕かない限り下から水は湧いてこないのです。

 しかし、かたくなな心が打ち砕かれるとき、心の中に泉が湧き上がるのです。
 私たちも同じです。神の御前で罪と思われるかたくなさが打ち破られるとき、生ける水はわき上がり、自分自身が潤されるだけでなく、周りの人をも潤す、生ける水の泉となるのです。

 彼女も心砕かれ、へりくだった者となり、水がめを置いて町に行き、イエス様を証ししてサマリヤで多くの人が信じ救われたのです。私たちもまず、イエス様の前に出て、生ける水を求め、心砕かれ、生ける水に満たされる者となりましょう。

 

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