2022年1/2 第一主日
新年主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 イザヤ書 37章 31節
- :31 ユダの家の中の逃れの者、残された者は、下に根を張り、上に実を結ぶ。
メッセージ概要
新年明けましておめでとうございます。今日は2022年最初の礼拝です。
一年の初めまず、神を礼拝しこの年豊かな恵みに預からせていただきたいと願う者です。
1,神による試練
この世では、さまざまな試練があります。今日の聖書の箇所では、南ユダ王国の首都エルサレムがアッシリアの大軍に取り囲まれ、陥落するような事態の中にありました。先に、北イスラエル王国は滅ぼされ、ユダ王国も風前の灯火であったのです。
そのとき王であったヒゼキヤはどうしたでしょうか。37:1「衣を引き裂き、粗布を身にまとって主の宮に入った」のです。
そしてイザヤに祈りを求めたのです。そして使いの者たちに「残りの者たちのために祈って下さい」と要請したのです (4節)。
この残りの者という言葉は重要です。英語ではレムナントと出てきます。力のない弱い者の代名詞です。神に憐れみを請うためにイザヤに祈りを求めたのです。
私たちも試練に遭うことがあります。どこに助けを求めるでしょうか。人にでしょうか。それとも自分自身で解決しようとするでしょうか。私たちはむしろ、すべてのものを造られ、支配しておられる全能の神様に求めるべきです。よく言われることは、たとえ八方ふさがれていても、天は開かれている、ということです。
ですから私たちは真の神様に祈ることです。祈りによって神様は私たちに聞いて下さり、必ず答えて下さいます。すべては全能の神の御手の中にある事です。信仰を持って試練を受け止めましょう。神様が解決を与えられます。
2,約束の御言葉
イザヤはヒゼキヤ王に神の言葉を告げました。「ユダの家の中の逃れの者、残された者は、下に根を張り、上に実を結ぶ。」滅びない。それどころか栄える、神の栄光を見ると約束したのです。
残りの者レムナントは力がありません。敵を倒すことは不可能です。しかし残りの者を生かし、用いられる方がおられます。
全能の神です。全能の神が、レムナントを生かし、ご自身の栄光を現されます。それによって、神様は現実におられ、生きて働いておられる方であることがわかるのです。
今私たちは何をなすべきでしょうか。何ができるのでしょうか。それは 31節にある「下に根を張る」ことです。植物は冬の間、何もしていないわけではありません。冬枯れのように死んでいるように見えても、実は根が成長しているのです。そして地面に深く根ざして、春を待ち、雪が溶ける頃には根からたくさんの養分を吸い取り、やがては木の枝から新芽が出て花を咲かせるのです。
今、コロナ禍で、私たちのできることは神の御言葉を蓄えることです。御言葉によって養われ、整えられ、時が来た時に神様に用いられ る、神の働きをなすことができるのです。私たちはその時を信じて、神の御言葉を心の内に蓄えさせていただきたいと思います。イエス様はヨハネ 15:5で「私は真のぶどうの木。あなた方は枝です。人が私にとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くのみを結びます。」と約束されています。
3,神による勝利
神により実を結ぶ。圧倒的な勝利は現実のものとなりました。エルサレムを包囲していた18万5千の大軍は一夜のうちに滅ぼされました。ペスト等の疫病との説もありますが、神がイスラエルの敵を滅ぼされたのです (36節)。神様は信じる者に圧倒的な勝利、力を与えられます。そこには喜びと感謝が起こります。
キリスト教の歴史においても、迫害や困難はつきものです。キリストが十字架につけられ、私たちの罪の身代わりとなって死なれましたが、死からよみがえられ、弟子たちに勝利と栄光を約束され、ペンテコステの日に約束の聖霊が降られて、弟子たちは大胆に十字架を語ったのです。そして キリストが十字架にかけられたエルサレムで3千人が救われました。歴史の中に働かれた神様は、今日も私たちに働かれます。信仰を持って神の御言葉をいただき、そして神様がなされること、神の祝福を期待しましょう。