「心の休み場」

2022年 10/30
第五主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】  マタイの福音書 11章 28節
11:28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 

メッセージ概要

 今はストレスの時代とよく言われます。特に新型コロナウイルス感染の問題が出てきて、交わりが少なくなり精神的にもイライラすることが多くなったのではないかと思います。家庭でもリモートワークでご主人がいる、子どもが騒いで邪魔をする。家庭内でもトラブルが多くなることがあります。
 自分がホット出来る空間、自分の居場所を求めることが必要なのではないでしょうか。心の休み場をどこに見つけるのか、私たちの一つの課題であると思います。

1,キリストの招き
 ときどき「隠れ家的お店」ということばをテレビで聞きます。芸能人がゆっくりと食事をしたりできる所です。人気のあまり人目につき、落ち着いて食べられないのかもしれません。いくら豪華な食事でも味わって食べられなければ美味しくはないでしょう。私たちにも安心できるところが必要です。私たちはどこで自分の安らぎを見いだすことができるでしょうか。

 イエス・キリストは、すべて疲れた人、重荷を負っている人はと、呼びかけておられます。
そのキリストが招いて下さっておられるところがあるのです。私たちはキリストが招いて下さっておられる所に行く必要があるのです。そこに行かなければ、真の心の平安、安心は得られないのです。

 こんな話を聞いたことがあります。インドネシアのボルネオ島カリマンタンのジャングルの奥地に村がありました。そこに住む先住民の人たちは、様々な霊の存在を信じていました。たとえばジャングルでヘビに出会ったら悪いことが起こる。おなかが痛くなる。また、木が倒れていたら災害が起こる。大けがをする。そうした迷信を信じ、言い訳をしてなかなか働こうとしなかったそうです。日本でも、今日は日が悪いから仕事はやめておこう、といったとこもあります。

 ところがそこにキリスト教の宣教師が来て、怖がることはありません。救い主イエス・キリストは皆さん一人ひとりを愛し守ってくださいます。信じてくださいと呼びかけたのです。そして、おなかを壊している人に薬をあげ介抱し癒やされ、木が倒れていたらそれを道の脇にどかし、整備したそうです。その姿を見ていた人たちが、宣教師の所に来て話を聞くようになり、イエス・キリストを信じたのです。

彼らは変わりました。迷信から解放され、心に平安と力が与えられ、ジャングルを切り開き、畑を作り作物を育て、村は発展していったのです。その近隣の村の人たちもその姿を見て、さらにキリストを信じる人たちが増えていきました。キリストは、私たちのこころに安らぎを与え、不安を取り除き、気力を与えてくださいます。

2,私たちを助けてくださる
 キリストが守ってくださる人は、立派な人ではありません。私が来たのは義人‒正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのである。と言われました。丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人であるとも言われたのです。すべて、重荷を負って苦労している人はわたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。これがキリストの約束です。私たちに重荷をおわせたり、苦しい目に会わせることは一つもありません。むしろ私たちを背負って運んでくださる方なのです。
旧約聖書にこんなことばがあります。「あなたがたが年をとっても、白髪になっても、わたしは背負う。なお、わたしは運ぼう。」(イザヤ46:4)と2700年以前も前から約束されているのです。
 すべてを信じ、おまかせすることです。

 坂道を一人のおばあさんが重い荷物を背負って歩いていました。車で通りかかった人が見かねて、車に乗せてあげました。交差点で信号待ちのとき、ふと横を見るとおばあさんは荷物を背負ったままです。何してるんですか。荷物を下ろしてくださいと言ったら、おばあさんは自動車に乗せていただいて申し訳ありません。荷物まで下ろしてまではバチが当たりますから。と言ったそうです。乗せた人は、重さは変わりませんので心配しないで下ろしてください、と言ったらおばあさんは下ろして本当に楽になりました。と言ったそうです。私たちは、自分も荷物もすべて、キリストにお任せすれば良いのです。

 キリストは、私たちの心の重荷、悩みをすべて受けてくださいます。そしてどんな失敗や過ちも、十字架で許してくださるのです。心の重荷をキリストに委ねて、平安を与えていただきましょう。

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