「真の利益」

2022年 11/6
第一主日 聖餐礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 

 

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【聖書】  テモテへの手紙 第一 6章 3~10節
:3 違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しない者がいるなら、
:4 その人は高慢になっていて、何一つ理解しておらず、議論やことばの争いをする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、ののしり、邪推、絶え間ない言い争いが生じます。
:5 これらは、知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段と考える者たちの間に生じるのです。
:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。
:7 私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。
:8 衣食があれば、それで満足すべきです。
:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。
:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。

 

メッセージ概要

 今年もあと2ヶ月ほどとなりました。秋になって物価が上昇しています。物も大切ですが、私たちを本当に豊かにしてくれるものは何か。また、私たちに益となるものは何かを考える必要があります。
 結論から言うなら6節にある「満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。」ということになるのです。


1,真の利益を妨げるもの

 一つは高慢です。高慢になると自分自身がわからなくなる。自分だけがわからなくなるだけではなく、聞く者をもわからなくさせてしまうことがあるのです。(ギリシア語の高慢の原意は「煙に包む」だそうです。)

 3節に「違ったことを教え」とありますが、主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しない、明らかに離れてしまったことを教えてしまうのです。
ですから、「高慢」からは、4節にある、議論やことばの争いになってしまい、その結果、人に対するねたみ、争い、ののしり、邪推、絶え間ない言い争いが生じるのです。この事に関して勝利した聖書の例は天使ミカエルです。悪魔とモーセのからだがどうなったか議論になったとき、相手をののしり裁くことをせず、「主が戒めて下さるように」と言ったのです(ユダ9)。

 もう一つは、お金です。10節に「金銭を愛することが、悪の根だ。ある人たちは金銭を追い求めて、信仰から迷い出、自分を刺し通した」とあります。第二列王記5章にゲハジというエリシャのしもべのことが記されています。ナアマン将軍の病が癒やされた後、エリシャは何も受け取らなかったのですが、彼はこっそりと後をつけ金品を要求したのです。
しかしエリシャにバレてしまい、ツァラアトの病になり去って行ったのです。金銭を愛することは大きな罠です。

2,真の利益をえるために
 本当の自分の益となることは、5節にある「満ち足りる心を伴う敬虔」であるとパウロは言っています。敬虔とは、神を恐れることです。全能の神を畏れ神の前にへりくだることです。別のことば言うなら、謙遜です。高慢とは対照的なことばです。謙遜であるなら、争いは起こらないでしょうし、相手をののしったりしないでしょう。

 神を畏れ神の前にへりくだることが第一なのです。そして、それに伴って満ち足りる心を持つことです。満ち足りる心とは、衣食があれば足りている、それで満足することです。私たちは腹八分目で十分であり、それが健康の元となります。欲が出て食べ過ぎると返って病気になってしまうのです。神様は私たちに十分なものを与えて下さいます。たとえ全世界を手に入れたとしても、自分のいのちを損してしまったら何の得にもならないのです。

 ですから、神様は高慢で愚かな私たちに救い主イエス・キリストを遣わして下さったのです。

 パウロもキリストを信じて救われました。彼は律法学者であり、パリサイ人で優秀な人間でした。しかし、高慢で人と争い、クリスチャンを迫害する人でした。その彼が復活のキリストに出会い、今までの罪過ちが十字架で赦されたことを信じたとき、神の愛がわかったのです。迫害者が愛の使徒に変えられたのです。

 私たちも自分で自分を変えることはできません。しかし、イエス・キリストは私たちを愛し、すべての咎・罪を負って下さる方です。すべてをキリストに委ね、そして私たちの心を新しくさせていただいて、神を畏れ、与えられているもので満足し、天の御国、神の国を目指して歩みましょう。

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