「万事、祈り」

2022年 12/11
第二主日
Ⅲアドベント礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


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【聖書】  エペソ人への手紙 6章 18~20節
:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
:19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。
:20 私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

 

メッセージ概要

 年末も押し迫り、慌ただしい時となっています。こんな時にこそ神様の守りの中に自らを委ねて行きたいと願わされます。

 パウロはこの世での戦いは、人との戦いではなく悪魔との戦いであるといいました。目に見えない者との戦いであり、悪魔の試みや誘惑が多くあります。そのためにも「神の武具を身に着けなさい」と勧めがありましたが、今回は祈りについて教えられます。

1,祈りの勧め

 パウロはここで、祈りについて二つのことを勧めています。一つは、「御霊によって祈る」ことです。御霊とは神の霊―聖霊のことです。神は霊であり目で見ることはできません。しかし確実に私たちの心に働かれ、私たちを教え、示し、導いて下さる方です。

イエス様は復活され天に帰られるとき、もう一人の助け主、聖霊を遣わすと約束されました。聖霊は私たちを励まし、力を与えて下さいます。祈るときも聖霊は助けて下さいます。お祈りは難しいとよく言われます。私も難しいと感じることがあります。とくに人前で祈るときはそうです。緊張します。どう祈って良いか解らない、そのような時もあります。その時聖霊は働いて下さり「御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」 (ローマ 8:26)

祈りは祈ることによってでしかできません。ですから、18節にある「忍耐の限りを尽くして祈る」ことが必要です。何回も何回も祈ることです。また祈りは上手に祈ることが目的ではありません。「すべての聖徒のために」とあるように、自分のためだけではなく、他の人のために祈ることです。聖徒とはクリスチャンのことですが、他の人のためにも祈ることが大切です。

教会では火曜日~土曜日、早天祈祷会があります。そこでは必ず個人個人の名前を挙げて祈っています。それは「すべての聖徒のために」忍耐の限りを尽くして祈りなさいと勧められているからです。でも、神様が祈りに答えられることは非常に感謝なことです。またそれは大きな励みになります。神様は今も生きて働いておられる。祈りが答えられることによって、祝福を与えて下さっておられることが実感されるからです。私たちはますます神様に祈り、祈りが答えられて感謝をささげるものでありたいと思います。

2,パウロの願い

 パウロは獄中にあって、エペソの人たちに要請しました。一つは、福音の奥義を大胆に語ることです。福音の奥義とは、キリストの十字架と復活のことです。キリストはなぜ十字架に死なれたのか、それは私たちの罪を赦すためでした。パウロもこの事を信じることができました。ナザレのイエスが私のために死んで下さった。そして、死の中からよみがえられ罪の赦しと永遠のいのちを与えて下さった。この事を語りたい、伝えたい。自分のために祈って下さいと祈りの要請をしたのです。

 もう一つは、大胆に勇気を持って語れるようにと言っています。彼はそのときローマの牢獄に鎖でつながれ、四人一組のローマ兵に監視されていたのです。それでも福音を語りたい、イエス様の救いを伝えたい。その思いが心の中にみなぎっていたのです。

 決して、自分は牢屋の中にいるからだめだ。自分には力がないとあきらめてはいなかったのです。そして、エペソの人たちの祈りは無駄には終わりませんでした。なぜなら、2000年近く経った今も、福音は語られているのです。そして、困難や迫害があっても大胆にキリストの救いを語っている人たちがいるのです。これは今日も祈りがあり、神様は応えて下さり福音が前進していることの証しです。神様のみわざがあらわされることを信じて私たちも祈りましょう。

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