「わたしが一緒に行く」

2023年 1/1
第一主日 新年元旦礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】  出エジプト記 33章 14節
:14 主は言われた。 「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。 」

 

メッセージ概要

 

 新年あけましておめでとうございます。2023年新しい年をまず礼拝をもって始めることができ感謝です。
 今日は、出エジプト 33:14から、メッセージを語らせていただきます。

 このことばは、主なる神様がモーセに語られたことばです。彼は神様によって選ばれ、イスラエルの指導者として建てられた人です。神様はエジプトの地で奴隷となっていたイスラエルの人たちの叫びを聞き、もう一度アブラハムに約束された地カナンに返されると言われました。ところがイスラエルの民は荒野の中で不安を覚え、偶像を作り不信仰に陥りました。その時モーセは山から下り、不信仰のイスラエルのために命がけで神様に祈ったのです。その時の答えが14節の「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」という約束でした。

1,神様がともに行かれる

 モーセは優れた指導者でした。また、神様の忠実なしもべでした。ところが何万人というイスラエルの民を導いて約束の地カナンに行くことは大変なことであったのです。しかも荒野で何もありません。また約束の地といってもどんなところかも解らない。ですから、途中で弱音を吐いて誰がこんな所に連れてきたのかと愚痴をこぼしたり、エジプトはよかった肉や美味しい野菜をたくさん食べられたと嘆くのも無理のないことであったと思われます。しかし、重要なことは彼らイスラエルの民は奴隷としてこき使われ、将来も希望もない状態であったのです。彼らは苦しみの中から、神様に叫び、救いを求めたのです。そして神様は、モーセを選び彼らをエジプトの地から解放されたのです。しかし旅をする荒野においてモーセ自身も民の反逆、不従順や不平、不満、不信仰に疲れ果ててしまったのです。ですから彼は改めて神様に誰が一緒に行ってくれるのか、祈りをもって問うたのです。

 その答えとして、神様は「わたしの臨在がともに行く」と応えられたのです。柏原教会は、旧会堂の講壇の上にこのみことばが掲げられていました。「我みずから汝と共に行くべし。汝をして安泰にならしめん。」と。私自身もこのみことばに励まされました。いまもそうです。この世の人生を歩むことは大変です。まさにイスラエルの民が荒野を旅するようなものです。困難や争いもあります。どこに平安を見つけることができるでしょうか。それは、神様が共におられることです。

 新約聖書では「インマヌエル―神我らと共にいます」ということであり、「わたしだ。恐れるな。」 (マタイ 14:27)ともがき溺れるような、私たちをも手をさしのべ引き上げてくださる方です。この主なる神様は私たちをも伴って、共に行ってくださる方なのです。

2,安息が与えられる。

 そしてモーセ、私たちに対する約束は何か。「あなたを休ませる。」別のことばでは安息を与えるということです。休ませてもらえる。私たちには休息が必要です。特に科学技術が発達した現代でも、たましいの安息、心の平安が必要ではないでしょうか。ストレスがたまり、イライラすることもあると思います。しかし、度が過ぎてしまうとそれは暴力や犯罪になってしまうこともあります。真の神様は私たちに心の平安を与えられます。イエス・キリストは「わたしが与える平安は、この世が与えるものとはことなる」 (ヨハネ 14:27)と言われました。キリストの平安は、罪の赦しです。失敗や過ちが赦される。その赦しによって私たちの心に平安が与えられ、安らぐことができるのです。いくら休日を取って、遊びに出かけたり、ごちそうを食べたとしても、心に平安がなかったらどうでしょうか。心は安まるでしょうか。疲れがとれるでしょうか。

 キリストが与えられる平安は、この世が与えるものとはことなり、心の疲れが癒やされるのです。

 モーセは、神様が共に行ってくださる、これほど心強いことはない、平安を得ることができたのです。「あなたを休ませる。」神様は約束してくださいました。私たちもまた、この約束に与って、揺るぎない平安をいただき、この世の旅路を神様と共に歩ませていただきましょう。

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