2023年 3/26
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 エレミヤ書 8章 4節
- 8:4 あなたは、彼らに言え。『 主はこう言われる。人は倒れたら、起き上がるものではないか。離れたら、帰って来るものではないか。
メッセージ概要
ことわざに「七転び八起き」と言う言葉があります。一説には仏教から来ていると言われますが、私は聖書から来ていると思います。
箴言24:16に「正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。」とあります。起き上がり小法師、だるまさんですが、 達磨(だるま)大師がモデルと言われています。
実は、イエス様の弟子、トマスがインドに行き福音を伝え教会を建てた。彼は祈るとき偶像に向かって祈っていたのではなく、壁に向かって祈っていた。それが元になっていたのではないかとも言われています。
真意は定かではありませんが、神様は、私たちが倒れても、立ち上がらせて下さる。力を与えて引き上げて下さるのです。ですから、何度倒れても大丈夫です。
1,私たちを倒すもの
①外圧
人生には試練があります。自然災害、地震など。仕事を失う。病気にかかる。しかし、神様は試練と同時に脱出の道をも備えて下さいます(Ⅰコリント 10:13)。
②つまずき
人は大きなものにはつまずきません。小さなものにつまずくのです。
人の噂話や、中傷。現代では、SNSで誹謗中傷され、自殺した人もあります。自信過剰が反ってつまずきの原因になることもあります。いわゆる心が折れてしまう。人の言ったことがこころに残り、それが否定的な思いとなって、自分はだめだ。そして倒れてしまうのです。
③心が弱くなる
心が喜びに満ち、生き生きとしているなら、へこたれることはありません。倒れることはないのです。でも、心が萎え、希望がなくなると倒れてしまうのです。自分の力では立ち上がることができなくなるのです。
それではどうしたらよいのでしょうか。
預言者エレミヤは、「帰って来るものではないか。」と言いました。どこに帰って行くのでしょうか。それはイエス・キリストのもとに帰ることです。「すべて重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と私たちを迎えて下さるのです。キリストが疲れて倒れ た私たちを引き上げて下さるのです。
2,力が与えられる
苦難の人、ヨブはこう言いました「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、幹が枯れても、水を得て苗木のように枝を出す。」 (ヨブ 14:7~9)
キリストは十字架にかけられ死なれましたが、死からよみがえられました。死に勝利されました。その復活の力が、私たちにも与えられるのです。
そしてイエス・キリストは、私たちの心を新しくし、人生やり直しができるのです。「だれでもキリストにあるなら、新しくつくられた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが 新しくなったのである」 (Ⅱコリント 5:17)。
かつて、車を盗み逮捕された人が、保釈後、どうしてよいかわからずさまよっていた時、教会に来ることができ、イエス・キリストを自分の救い主と信じました。すると、心の罪が赦されて、新しい出発をすることができたのです。罪の誘惑から守られ、二度と悪いことをしない。すべてが新しくなったのです。
私たちもキリストに立ち返るとき、たとえ倒れて起き上がれなくても、キリストが起こして下さるのです。そして、人生の重荷を一緒に背負って下さるのです。
この方にすべてを委ね、愛されて心に平安と喜びを与えていただきましょう。