「神への悔い改め」

2023年 6/18
第三主日 父の日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】 使徒の働き 17章 25~31節
:25 また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。
:26 神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
:27 それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
:28 『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。
:29 そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。
:30 神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。
:31 なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」

 

メッセージ概要

 

 今日は父の日です。父の日はアメリカで始まりました。一人の夫人が教会の礼拝で母の日の由来を聞いたときに、自分のお父さんは南北戦争で九死に一生を得て帰って来た。けれどもその時、お母さんは過労で倒れ、男手一つで6人の子どもを育ててくれた。その感謝を表したいとのことから父の日が始まったそうです。

 肉親の父親に感謝をするとともに、万物の創造者である神様に、まず感謝する者でありたいと思います。

 

1,神はすべてを与えられる

 私たちは神様に何かをしてあげる必要はまったくありません。なぜなら神は万物の創造主であり、私たちをも造ってくださった方です。ですから、私たちが神様のお世話をするのではなく、神様が私たちを養って下さる方です。

 イエス様は「空の鳥を見なさい。彼らは蒔くことも刈ることもしない。しかし天の父がこれを養っておられる。私たちは空の鳥よりも優れたものではないか。」と言われました。

 それ故、私たちは心配する必要がないのです。すべては神様が与えて下さいます。私たちのいのちをも神様は与えそして守ってくださるのです。

 いのちと言っても二つあります。一つは肉体のいのちです。誰でも人間として生まれたならあります。しかしもう一つのいのちは永遠のいのちです。これは誰もが持っているものではありません。しかし神様は「御子を信じる者が滅びないで永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ 3:16b)と言われました。

 イエス・キリストを信じるその信仰によって私たちは永遠のいのちを得ることができるのです。

 

2,神を求める

 私たちは自分が「何のために生まれてきたか」その目的を知って、生まれた人は一人もいません。確かに人間の親から生まれたのですが、納得できる意味を与えてもらえるでしょうか。

 朝の連続ドラマで植物学者の牧野富太郎のテレビを放映していますが、彼は造り酒屋に生まれましたが家業を継ぐことなく植物学に進みました。

 神様は一人の人間から、あらゆる民を作り出し、地の全面に住まわせ、決められた時代そして住むべき所を与えられたのです。私たちの人生は千差万別です。バラエティーにとんでいるのです。そしてそれでいいのです。違いがあって当然のことです。そのように神様 は造られたのですから。一人ひとりは違いがあり個性があります。それを私たちは否定することはできないのです。なぜなら全能の神が造られたからです。中には、自分は不自由な肉体を持って生まれた。神がいるならなぜこのように生まれたのか。と言われる人がありました。

 それは「神を求めさせるためです」。実は、私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです。昆虫学者のアンリ・ファーブルは、虫の生態を観察して、「まさに神様がこれを造られた」と生きる意味の発見をしたのです。私たちもまた、自分の人生の意味をこの生きている時代・環境の中に見い出すことができます。

 

3,神に立ち返る

 30節に「神は…すべての人に悔い改めを命じて」おられます。悔い改めとは、神に帰ることです。そして、神様にすべてを明け渡し、信頼して委ねることです。自分自身をもお任せすることです。

 31節の「お立てになった一人の方」とはキリストです。

 最初の一人の人アダムは罪を犯しました。神様に不従順でサタンの言葉に乗せられ神から離れてしまったのです。それ故、罪の呪いを受け苦労しなければなりませんでした。そして行き着く先は死、永遠の滅びでした。しかし、もう一人の方キリストにより、私たちはその罪がゆるされ、永遠のいのちに与れるようになったのです。それは十字架です。十字架にキリストは死んで私たちの身代わりとなり、すべての呪いを受けて罪の代価を支払ってくださったのです。それによって、私たちは神の子とされ、神様の豊かな恵み祝福を受けるものと変えられたのです。

 ですから、私たちは神様がいのちと息と万物を与えてくださっておられる、私を祝福してくださるその恵みの中に生かされ、感謝することができるのです。

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