「怒りを取り除く」

2023年 11/26
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】
エペソ人への手紙 4章 26節
:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。

 

メッセージ概要

 

 現代社会はストレスの時代だと言われています。いかにストレスをコントロールするかが、私たちの生活を安定させ、喜びに満ちたものになるか、カギとなります。

 最近よく、パワハラという言葉を耳にします。また、ニュースにもなったりしています。政治家がパワハラのために辞任したようなことも聞きます。いわば自分の怒りが、自分自身を苦しめることにもなりません。

 アンガーマネジメント、怒りの抑制の講習会もあるくらいです。どのようにすれば、自分の怒りをコントロールできるようになるのでしょうか。

 

1,怒ってもかまわない

 聖書では「怒っても」と出てきます。実は、怒ってもいいのです。むしろ、私たちは怒りを内にためてしまうと、自分自身が苦しくなり、自分を責めてしまうことにもなります。
ですから、聖書には怒ってはならない、とは言っていないのです。但し、その怒りをずっと持ち続けていてはいけないのです。

 「憤ったままで日が暮れるようであってはなりません。」と忠告されています。なぜ、「日が暮れる」と、あるのか。それは次の日まで持ち越してはいけないと言うことです。ユダヤ人の一日は日没から始まります。とにかく、怒りや憤りを長く持ってはいけないのです。その日のうちに解決しておく必要があります。

2,罪を犯してはならない

 聖書が指摘しているのは「罪を犯してはなりません。」と言うことです。

 罪とは何か。的外れと言うことです。

 聖書で言う的とは、愛すると言うことです。神を愛し、人を愛する。神様は愛の律法を人間に与えられました。しかし、人間はそれを行うことができなかったのです。

 私たちも、生まれながらにして、人を愛することは分かりませんでしたし、何事も自分中心に考えて生きてきたのではないかと思います。自分の利益、自分の幸せ、自分さえ満足できたらそれでいい。人のことなど関係ない、自分さえよければと言う思いがあったのではないかと思います。

 聖書には、怒りの起源が記されています。

 それは創世記4章5節に「カインは激しく怒り、顔を伏せた。」とあります。それが怒りの始まりです。なぜ怒ったのか。神様は自分を顧みられなかった。弟アベルを喜ばれた。その思いが、彼の怒り、そして殺人に繋がっていったのです。もし、その時、彼の怒り憤りが鎮められたら、人殺しにはならなかったでしょう。どうすればその怒りを静めることができるでしょうか。

3,罪の解決

 怒りは、私たちの感情、心の表れです。正義感の怒りもあります。昔は雷親父がいました。悪いことをしたら怒る。いたずらをして怒鳴られ、叱られたものです。それによって善悪を学ぶこともできたかと思います。今では叱ってくれる人、忠告してくれる人も少なくなったかもしれません。 しかし、それを持ち越してはならないのです。

 解決が与えられなければ、心に喜びも平安もないのです。ある方は、心に憤りを感じて、相手に3年間、口をきかなかったそうです。 最初は怒りで、口をきかなかったのが一週間、一ヶ月、一年と延び、気まずくなり、人間関係が悪化してしまった。悩みに悩んで、教会に行く機会が与えられ。そこで解決を得たそうです。

 それはイエス・キリストです。イエス・キリストが十字架の上で自分の怒り、憎しみ、憤り、心のあらゆる罪を受け止めて、身代わりとなり死んで下さった。

 そのキリストを信じたとき、自分は赦された。そして愛されている。口をきかなかった友人にも、そのことをお詫びして、仲直りすることができた。と証しされていました。
ヨハネ1章29節「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」とあります。イエス・キリストは私たちの内にある、すべての罪を代わりに受けて、十字架で死に、解決して下さったのです。

 キリストによって、赦されすべての怒り憤りを十字架で受け止めていただき、愛されて生かされる者とさせて頂きましょう。

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