「信仰の本体」

2023年 12/10 第二主日
第二 アドベント主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】
コロサイ人への手紙 2章 13~17節
:13 背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、

:14 私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

:15 そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。

:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。

:17 これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。

 

メッセージ概要

 

 もうすぐクリスマスです。クリスマスはキリストの誕生を祝います。しかし多くの人はごちそうを食べ、プレゼントを交換したり楽しいときと受け止めています。それも感謝なことですが、クリスマスの本体はイエス・キリストです。キリストが私たちになして下さったことを感謝しお祝いするのがクリスマスです。

1,背きを赦された

 キリストがなされた一つのことは、「私たちのすべての背きを赦し」て下さったことです。私たちは何に背いたのでしょうか。それは、創世記3章に出てきます。神様に背いた、ということです。最初に造られた人間アダムとエバは、すべてのものが与えられて幸福に生きていました。ところが、サタンがヘビに化け近づいて彼らにうそを言い、だまし、罪を犯させたのです。それは、園の中央にある木の実を食べれば神のようになれると言って騙し、神様との約束を破り罪を犯させたのです。彼らは神様から隠れました。悪いことをすると、隠そうとします。言い訳をします。そして自分を棚に上げて人を非難するのです。それが罪の姿です。アダムは、エバが食べろと言った、だから食べたんだと自己主張しました。一言もお詫びをしたり、誤ったりしなかったのです。今も同じです。「私が悪かった。ごめんなさい」と謝らないのがこの世の姿です。

 ですから、人間はたましい―心の死んだ者であると聖書は言っています。そのような状態から、私たちの罪を赦すためにキリストはこの世に来て下さったのです。最大のプレゼントは、美味しいごちそうでも、新しいおもちゃや物ではありません。私たちの心の中にある負い目、心の苦しみが取り除かれることです。

2,負い目が赦される

 14節に「債務証書」とあります。それは借金、借用書のことです。いくら借りたかそこに書いてあるのです。なんでこんなことが聖書に出てくるのか。それは私たちの心に負い目があると言うことです。借金は、働いてお金を貯めれば返すことができます。でも、私たちの失敗や過ち、心の中にある負い目をどうすれば取り消すことができるでしょうか。それにはたった一つだけ方法があるのです。それを「十字架に釘付けにして取り除いて」もらうことです。十字架とは、キリストの十字架のことです。キリストの十字架は、私たちの罪の赦しのためでした。それは、お金や物、行いで取り消すことのできない心の傷を、十字架で赦される、癒やされる、跡形もなく取り除いていただける。その罪の赦しを受けることです。これを信じることで頂けるのです。これ以外に救われる方法はないのです。

 青年たちがボートで遊んでいました。悪ふざけが高じて転覆し落ちたのです。近くの人が助けに来ましたが、一人は救助され一人は溺死しました。助かった青年は悩んだそうです。無二の親友が死んだ。助けられなかった。見捨てて、救助の人にしがみついて助かった。でも自分は見殺しにしてしまった。心が傷み、なぜ助かったのか。なぜ生きているのか。苦しんだそうです。自分は罪深い人間だと悩み、あるとき知人に誘われ、教会に行きキリストのことを聞きました。そして自分のような物でも罪が赦されますかと牧師に相談し、すべてをキリストにお任せし、十字架は自分の罪のためでしたと告白したのです。明くる日、教会の戸をたたく音が聞こえました。その青年が立っていたのです。牧師を見るなり「手が出ませんでした」と言ったのです。夢の中で悩まされていた親友の手が出なくなった。ぐっすり眠れたと証ししたのです。

3,キリストの勝利

 この世では戦いがあります。私たちは、言葉や態度で立派に見せかけ戦っています。しかしキリストは私たちから鎧や兜を外して自由に快適にして下さいます。キリストは十字架に架けられて死なれましたが、死の中からよみがえられ死に勝利されたのです。私たちはキリストの勝利の凱旋に加えていただけ、天国に入ることができるのです。もう何かを守らなければいけない、立派な人間として振る舞わなければならない、規則に縛られる生活から解放され、身も軽く自由に生きる生活ができるのです。キリストがその本体です。

 クリスマスはキリストが生まれた日ですが、キリストを心にお迎えするなら、毎日がクリスマスになるのです。私たちの心にキリストをお迎えし、喜びを与えていただきましょう。

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