「光の内を歩む」

2023年 12/17 第三主日
第三 アドベント主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】
イザヤ書 2章 1~5節
:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。

:2 終わりの日に、の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。


:3 多くの民族が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから 主のことばが出るからだ。


:4 は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。


:5 ヤコブの家よ、さあ、私たちも の光のうちを歩もう。

 

メッセージ概要

 

 先日、テレビを見ていましたらAI搭載のロボットがブロッコリーとチキンの唐揚げを選別してお弁当に詰めているところが映っていました。技術革新はすごいなと思いました。
 しかし、人間の未来は明るいでしょうか。希望に輝いて生きているでしょうか。物質的なことよりもむしろ私たち自身の心を明るくし、希望を持っていきるようにさせて頂きたいと願う者です。

1,終わりの日

 一つは、この世には終わりの日、終わりの時が来ると聖書は言っています。

 おそらくいつの時代にも終わりの日の預言があると思います。

 昔、ノストラダムスの大予言というのがありました。でも終わりにはなりませんでした。しかし聖書を見ますとマタイ24章では世が終わるときのしるしとして、偽キリストの出現や、戦争のうわさ、敵対すること、飢饉と地震、多くの人の愛が冷えるといわれました。今まさに、そうしたことが数多く起こってきています。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われるといわれました(マタイ24;13) 。心に忍耐、希望を持つことです。

2,主の山に上る

 今から、2750年前にイザヤは預言しました。それは救い主が現れ、私たちを救って下さることです。有名な預言は9章6節に救い主の誕生が語られています。この所では、神様を礼拝することが語られています。

 当時は、シオンの山エルサレムに神殿がありました。そこで神様を礼拝していました。ですから、主の家の山、主の山、ヤコブの神の家という言葉が出てきます。今、神殿はありません。現在はイスラム教のモスクが建っています。そこにユダヤ教の神殿が建てられると第三次世界大戦になると言われています。今、パレスチナでは戦闘状態に陥り多くの大切ないのちが失われています。

 今、私たちは、教会で礼拝しています。主の山ヤコブの家に上ろう、とありますが、3階の礼拝堂に上がるのもその意味があるかもしれません。これは巡礼の歌でした(ミカ4:2) 。3節のみことばは、別の言葉で言うなら、礼拝に行こう。そして、私は道であり真理である。と言われるイエス様に従って歩もうという風に考えることができると思います。

3.平和の君の到来

 今、戦争が起こっています。早く終わらせて頂きたいと願っています。4節には、「剣を鋤に、槍を鎌に打ち直す。もう戦うことを学ばない。」とあります。

 イエス・キリストは平和の君と呼ばれています。戦争のあったときに、クリスマス休戦というのがありました。戦いに疲れ一時休戦。しかし、ここで語られているのは、長く続く平和です。イエス・キリストが再臨されるとき、千年間平和が続くと聖書にあります。

 そのことを私たちは信じ、私たち自身が神の子、すなわち平和を作り出す者になりたいと思います。どのようにしてなれるのか。

 イザヤは「私たちも主の光の内を歩もう。」といいました。

 イエス様は「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」と約束されました。

 不平を言ってつぶやき、闇の中を歩くのではなく、イエス様に従いいのちの光を心の中にいただき、明るく照らして頂いて希望と喜びをもって生かしていただきましょう。

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