「伝道の始まり」 マタイ 4章12∼17節

2024年 2/4
第一主日 聖餐
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
マタイの福音書 4章12~17節
:12
イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。

:13

そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。

:14

これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。

:15

「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。

:16

闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」

:17

この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。

 

メッセージ概要

 

 イエス・キリストがこの世にこられた最大の目的は、私たちを罪の滅びから救い出すためでした。皆さんご存じの通りキリストは十字架にかけられ死なれたのですが、それは私たちの罪の赦し、新しく生まれ、生きるためになされた神の御業であるのです。

 その始まりが、イスラエルの北部ガリラヤから始まったのです。

1,闇からの救い

 14節に預言者イザヤを通してとありますが、イザヤは紀元前700年も前の預言者でした。彼の預言は救い主が来られる約束でした。そしてそれが700年経ってその通りになったのです。それが15節と16節のことばです。

 ゼブルンとナフタリはイスラエルの北の果てです。そこはアッシリアに占領され、異邦人が住むようになったのです。ですから「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、南のユダヤの人たちは軽蔑していたのです。ガリラヤからは何の良きものが出ようか、と言われていました。

 ですから、救い主イエス・キリストはガリラヤ湖のほとりのカペナウムにわざわざ住まわれたのです。

 もし、この世の栄光を受けようとするなら、ガリラヤではなく、ユダヤのエルサレムに住みそこで生活し名声を得たとしても不思議ではありません。しかしキリストの目的は滅び行く人の救いです。社会の底辺に住んで何の喜びもない、希望もないそのような人たちをも救うためにこの世にこられたのです。

 

2,救いの光

 しかし、「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る」とイザヤは預言しました。
そのことはキリストにおいて成就したのです。キリストによって、病の者はいやされ、悪霊に取り憑かれた者は解放され自由となり、さげすまれている者には励ましと希望が与えられたのです。

 まさにキリストは希望に輝く光です。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ 8:12) 。
明るい希望の将来が与えられるのです。

 

3,人生の方向転換

 この時から言われたキリストのことばがあります。

 「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから」と言われたのです。悔い改めるとは方向転換することです。キリストの方に向きを変えることです。十字架には力があります。私たちの心の罪を取り除く力があるのです。私たちの心の中にある否定的な思い、自己憐憫、人に対する妬みや憎しみから私たちを解放します。キリストは愛の光をもって私たちを明るく照らして下さることができます。

 「私の目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」とイザヤを通して神様は語られるのです (イザヤ43:4)。そしてキリストの愛が私たちの心を守ってくださるのです。

 私が自分の力でするのではなく、キリストが私たちを導いてくださるのです。

 昔は大きな船が港に入るとき、タグボートが来て、その船長が代わりに舵を取ることがありました。キリストに悔い改めて従う。人生の舵をキリストに委ねることです。

 そうするなら、キリストはあなたの代わりにすべての重荷を負い、そして平安を与えて、天の御国へと導いてくださるのです。

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