「新しい人を着る」コロサイ3章5∼11節

2024年 4/14
第二主日 
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
コロサイ人への手紙 3章5~11節
:5
ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。
:6
これらのために、神の怒りが不従順の子らの上に下ります。
:7
あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。
:8
しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
:9
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
:10
新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
:11
そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

 

メッセージ概要

 

 四月に入り、桜の花が咲いたかと思うと、もう葉桜になっています。急に暖かくなりましたが、夏服が必要になってきます。衣替えもありますが、何より私たちの心を新たにしていただきたいと願うものです。

 今日は「新しい人を着る」と題して話をしますが、外側だけでなく私たち自身の心を神様は新しくして下さいます。


1,古い人を捨てる

 まず、私たちは新しくなるためにしなければならないことがあります。それは古い人を脱ぎ捨てることです。その姿を見ると、5節には「淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲」とあります。すなわち私たちの内側にある欲望です。私たちの内側から出てくる欲は自分の力ではなくすことはできません。自分の力では解決できないのです。

 それではどうするのか。「殺してしまいなさい。」とあります。どのように欲望を殺すことができるでしょうか。

 以前は、私たちはそのようなものの中に生き、歩んでいたのです。欲望のおもむくままに生きていました。しかし、イエス・キリストの十字架によって私たちの罪が赦され、新しいいのちに生きるものになりました。ところが、それで罪の解決が与えられたかというとそうではないのです。私たちの問題は、自分の心が日々新しくされる必要がある、と言うことです。

 私たちは、風呂に入ったりシャワーを浴びたりして、体を清潔に保ちます。それと同じように、私たちの心も清潔にならなければなりませんし、きよく保つ必要があるのです。それでは、罪汚れから私たちをきよくするのは何でしょうか。

 一つは十字架です。「御子イエスの血すべての罪より我らをきよむる」(Ⅰヨハネ1:7)。
そしてもう一つは御聖霊の働きです。

 実は、「貪欲を殺してしまいなさい。」これは聖霊の働きです。私たちの力で欲を殺すことはできないのです。しかし、パウロはこのことを体験しました。彼はローマ書8章13節で「御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。」と言っています。彼はかつてパリサイ人律法学者でした。しかし、心の問題は解決できませんでした。「したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っている」「もはや私でなく、私の内に住んでいる罪です」(ローマ7:19,20)「私は本当に惨めな人間です。誰が私をこの死のからだから、救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7:24)と本音を語っています。

 それができるのが御聖霊です。御聖霊が私たちの心の中に働いて下さり、律法は罪だと指摘するだけでしたが、御聖霊は貪欲を殺して下さるのです。それだけでなく、自我も十字架に付けて下さるのです。それがきよめの消極的部分です。それに対して積極的な心のきよめがあります。


2,新しい人を着る

 積極的きよめは、新しい人を着ることです。新しい人とはキリストです。パウロは「主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。」(ローマ13:14)。と言っています。

 私たちの心はキリストのかたちに従って、新しくされ続けます。私たちは古い人を脱ぎ捨てなければなりません。風呂に入って古い下着を着るでしょうか。新しいものを着ます。古い下着を着てその上に新しい上着を着るでしょうか。そんなことをすれば気持ち悪いです。

 私たちは見えないところ内側からきれいになり、そして外側も新しくなる。

 パウロは「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられる」と言いましたが、私たちもキリストの愛とあわれみにみたされ、人を愛する者、人を祝福する者にされたいと願います。

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