2024年 4/28
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
テモテへの手紙 第一 1章13~16節 - :13
私は以前には、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。しかし、信じていないときに知らないでしたことだったので、あわれみを受けました。
:14
私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。
:15
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
:16
しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。
メッセージ概要
この手紙を書いたパウロは、イエス・キリストの救いを伝える人でした。
キリスト教の救いはただ、頭の中で描いたもの、空想的なものではありません。
むしろ現実的、実際的なものです。彼は15節で「キリスト・イエスは罪人を救うために…来られた。」これは真実であると言っています。
いうなれば彼は、「実体験をした。そして自分は変わった」と証ししているのです。
1,パウロの実態
彼は以前「神を冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者だった。」と言っています。
それが本当の姿でした。彼はパリサイ人律法学者、そして最高法院の有力メンバー、この世の地位や権力を持った人でした。おそらく他人から見れば素晴らしい人であったと思います。しかし、証しをしているように、暴力をふるい、そして神様に喜ばれない者、逆に悲しませるようなことをしていたのです。
その彼が180度変わったのは何か。
2,神のあわれみを受ける
彼が変えられたのは、神様の愛でした。復活のキリストは迫害するパウロに対して「サウロよサウロ、なぜわたしを迫害するのか。」と現れたのです。パウロは驚きました。
そして自分がしていることは暴力であり迫害であることがわかったのです。そして、彼はその罪をも赦されました。それは16節にある「キリスト・イエスのこの上ない寛容」であったのです。神の愛は、ご自分をも迫害し冒瀆する者をも受け入れて下さる愛なのです。ですから神様はどんな罪でも過ちでもゆるして下さる方です。
それは真に「あわれみ」です。神様は私たちを憐れんで下さる。慈しんで下さる愛の方です。
フランスの哲学者・数学者であったパスカルは天才であり社交界の花形でした。しかし失恋し深い悩みに陥ったとき、聖書を読み救われたのです。その時彼は「歓喜、歓喜、歓喜の涙。主イエス・キリスト、哲学者の神ならず、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と涙を流して喜んだそうです。彼もまた傷んだ心に、神のいたわり、あわれみを受けて立ち直ることができたのです。
パウロも14節で「主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。」と証ししています。信じるなら私たちの心もキリストの恵み、そして信仰と愛に満ちあふれることができるのです。
3,永遠のいのちを得る
そして大切なことは16節にある「永遠のいのちを得る」ことです。たとえ素晴らしい教えを聞き、心が満たされても、死んでしまったら、滅んでしまったら何にもならないのです。
しかしパウロは冒瀆の罪、迫害の罪、暴力の罪がゆるされ、キリスト・イエスを信じる信仰によって永遠のいのちを得られる先駆けとなったのです。
私たちもすべての過ちはゆるされ、あわれみを受けて天国に入れることができるのです。
ある方は「私のような者でも天国に入れますか」と言われました。
もちろんです。 パウロは「私はその罪人のかしらです」と告白し、罪が赦され天国に入れたのです。と話をし、洗礼を受けられ、感謝に心満たされ、天国に凱旋されました。