2024年 9/15
第三主日 敬老祝福礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
コリント人への手紙 第二 4章7~15節 - 7:
私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
8:
私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。
9:
迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10:
私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。
11:
私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。
12:
こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。
13:
「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。
14:
主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
15:
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
メッセージ概要
聖書には「夕暮れになっても光がある」(ゼカリヤ14:7) と、生きる希望があります。
1,私たちは土の器である
私たちは「土の器」です。それは高価ではない、すぐに捨てられるような器です。
しかしクリスチャンは、土の器でも心の中にキリストという「宝」があります。
この宝は「測り知れない力」です。
①苦しめられても窮しない。
②途方に暮れても行き詰まらない。
③迫害されるけど見捨てられない。
④倒されるけど滅びない。
その力が私たちの心に与えられるのです。
2,イエスの死と復活のいのち
心に宝を持つ秘訣は「イエスの死を身に帯び、イエスのいのちが私たちの身に現れる」ことです。パウロは「私はキリストとともに十字架に付けられた。生きているのはもはや私ではない。キリストが私の内に生きておられるのである」(ガラテヤ2:19、20) と証ししました。聖霊によって、私たちにもこの確信は与えられます。
3,神の栄光が現される
コリントの教会には分裂の危機がありました(Ⅰコリント1:10)。各々自己中心の状態でしたが、パウロは「全能の神はコリントの人たちも一緒に御前に立たせて下さる」と確信しました。そしてパウロの手紙を読んでコリントの人たちも悔い改め、主の御前に立ち、神様の大いなる祝福に与ることができたのです。