3/9「主を誇れ」Ⅰコリント 1章26~31節

2025年 3/9
第二主日 主日
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】
コリント人への手紙 第一  1章26~31節
26:
兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

27:
しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。

28:
有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。

29:
肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

30:
しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。

31:
「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

メッセージ概要

 

 私たちは、人間関係で争いになることがあります。しかし、キリストを誇りとすることによって問題は解決します。


1,神の選び

 パウロは「自分たちの召しのことを考えてみなさい」と言っています。私たちはただ、キリストを信じる信仰によって救われたのです。行いに依るのではありません。そして、立派な人が救われるのではありません。

 神様は「無に等しい者」を選ばれます。
この世の愚かな者、弱い者、取るに足りない者、見下されている者などです。

 それは私たちが神様の前に「謙遜な者」となるためです。

 

2,キリストを誇る

 「誇る」とは高慢な態度です。私たちは物事がうまく行くと高慢になります。失敗すると落ち込みます。神様は私たちにそのことに対する「解決の知恵」を与えられます。

 義と聖と贖いです。

 義とは、キリストの十字架で私たちは罪が赦されて正しい者とされることです。

 聖とは、私たちの罪咎で汚れた心を、十字架の血をもって、洗いきよくしていただけることです。それによって、心の罪の苦しみが取り去られるのです。

 贖いとは、悪魔の奴隷、罪の奴隷となっていた私たちが十字架のいのちの代価により、神のもの、神に属する者となったと言うことです。ですから、私たちはキリストのうちにあって自分は滅びから救われた、罪がゆるされた、自分は神のものだと喜び、感謝することができるのです。

最新情報をチェックしよう!