「心の目が開かれる」

2020年11/8 第二主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 

音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】エペソ人への手紙1章15~19節
:15
こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので、
:16
祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています。
:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
:18
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
:19
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。

 

メッセージ概要

エペソの町は日本風にいうなら門前町です。エペソには偶像アルテミスの神殿があり、それに関わる仕事をしていた人が大勢いたのです。しかしそこにも福音が伝えられ、多くの人がイエスキリストを信じ救われ、困難な中にも主の教会が建てあげられていったのです。それは偶像や、この世の富に勝る素晴らしいものがあるからです。

1,受け継ぐものが見える
この世では見えるものもありますが、見えないものもあります。空気や風は見えません。しかし存在しているのです。私たち人間の身体は目では見えますが、心や思いは見ることはできません。しかし私たちの内には心があり各自の思いも存在しているのです。
神様も肉眼では見えません。しかしおられるのです。その一つの現れは17節に出てくる、御霊すなわち御聖霊です。聖霊は神様ご自身です。そして私たちの心の中に働かれる方です。私たちがイエス・キリストを信じるときにも働かれます。だれでも聖霊によらなければ、イエスを主と告白することはできないのです。ですから私たちがイエス様を信じることができるのは御聖霊のおかげ、聖霊の働きなのです。

ここでパウロは特別に、エペソのクリスチャンたちのために祈っています。17節にある「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなた方に与えて下さいますように」という祈りでした。エペソは伝道の困難な所でした。アルテミスの神殿がありますから普通に考えればそんなところで伝道はしないでしょう。しかしパウロはイエス・キリストを伝えたのです。そして信じる人々が起こされました。それに伴って大迫害も起こりました。使徒19章にはそのことが記されています。ですから、信じたら金が儲かるとか元気で過ごせるとか、そんなものでは通用しないのです。それを遙かにしのぐ壮大な栄光が見えない限りアルテミスの神殿には打ち勝てないのです。それに勝利するのは何か。御国の栄光です。天国です。18節にある、神の召しにより与えられる望みとは天国のことでしょう。また、聖徒たちの受け継ぐものとは、義と栄光の冠、勝利の冠でしょう。パウロもそれを目当てとして、地上の生涯を駆け抜けました。私たちも同じです。そのためには御聖霊が働かなければ、神の国を見ることも、栄光の冠に与ることもできないのです。それはどうして分かるでしょうか。御聖霊です。御聖霊により、神の御国―天国も、栄冠もすべてが分かるのです。啓示の御霊とありますが、啓示とは覆いが取り除かれることです。除幕式です。見えなかったものが見えるようになるのです。ステパノがそうでした。天が開かれイエス様の姿が見えて、彼は喜んで犠牲になり、自分を殺そうとしている人々を赦したのです。

2,神の偉大な力を知る
そしてもう一つ大切なことは、神の偉大な力を知ることです。地球には引力が働いていることは皆さんご存じです。それを発見したのはニュートンです。万有引力の法則を彼は発見しただけです。しかしなぜこの引力があるのか、どうしてできたのかは分かりません。彼はこの発見を自分は大海原の砂浜にある一つの砂を拾ったに過ぎないと言っています。神が創造され、その中に私たちは生かされているとしか言いようがないのです。 神様が創られたのは引力だけではありません。この自然界も宇宙や地球そして私たちも造られたのです。そこには目的があります。創造された神を誉め讃えること、感謝することです。それを神様は喜ばれます。天地創造の終わり、創世記の1章さいごには、「非常に良かった」それが神の御業です。

そのことも聖霊によって分かるのです。確かにこの世の醜さ、汚さは私たちの目でも十分に見えます。しかしそれをも打ち破る、神の創造の素晴らしさ絶大な力、人をも造り変える力を私たちは、御聖霊によって知ることができるのです。何よりもエペソのクリスチャンたちは、偶像礼拝から、主イエスを信頼し、聖徒を愛する人たちに変えられて、愛の教会が建てあげられていったのです。パウロは何よりもこのことを感謝したのです。