2026年 6/28(日) 第四主日
伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
イザヤ書 63章8~9節 - 8:
主は言われた。「まことに、彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」と。こうして主は彼らの救い主になられた。
9:
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。
メッセージ概要
聖書が示す救い主キリストは、私たちの人生の重荷を一緒に担い、ともに歩んでくださる方です。
1,一緒に苦しまれる
キリストは悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と一緒に喜ばれる方です。姦淫の罪を犯した女性を周囲の非難から守り、決して責めなかったように、愛するとは相手と一緒に悩み、苦しみ、泣くことなのです。
2,罪を贖う
贖いとは代価を支払って自分のものとすることを意味し、本物の愛には犠牲が伴います。私たちは何か良い行いをしたから愛されるのではありません。
ある裁判官が親友の負債をすべて肩代わりした話のように、キリストは愛される資格のない私たちのために、罪の報酬である死の代価を十字架の上で代わりに支払ってくださったのです。
3,背負って下さる
人は成長するにつれて生活や経済、家庭などの重荷が増え、悩み苦しみます。しかし、母親が愛ゆえに幼子を重荷と思わずに抱きしめるように、神は弱く愚かな私たちを愛し、喜んでその負担を背負ってくださるのです。
救いとは自分が強く立派になることではなく、すべてを神にお任せすることなのです。
もし今、心に重荷があるなら、「神様、もう疲れました。私を助け、背負ってください」と祈り、すべてを委ねてみてはどうでしょう。その率直な一言から、新しい歩みが始まります。あなたを心から愛し、片時も離れずに背負ってくださる方が、いつでも両手を広げて待っておられるのです。