9/13「聖なる者とされる」 コリント人への手紙 第一 6章1~11節

2026年 9/13(日) 第二主日
敬老祝福合同礼拝 

ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
コリント人への手紙第 一 6章1~11節
1:
あなたがたのうちには、仲間と争いを起こしたら、それを聖徒たちに訴えずに、あえて、正しくない人たちに訴える人がいるのですか。

2:
聖徒たちが世界をさばくようになることを、あなたがたは知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるのに、あなたがたには、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。

3:
あなたがたは知らないのですか。私たちは御使いたちをさばくようになります。それなら、日常の事柄は言うまでもないではありませんか。

4:
それなのに、日常の事柄で争いが起こると、教会の中で軽んじられている人たちを裁判官に選ぶのですか。

5:
私は、あなたがたを恥じ入らせるために、こう言っているのです。あなたがたの中には、兄弟の間を、仲裁することができる賢い人が、一人もいないのですか。

6:
それで兄弟が兄弟を告訴し、しかも、それを信者でない人たちの前でするのですか。

7:
そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか。

8:
それどころか、あなたがた自身が不正を行い、だまし取っています。しかも、そのようなことを兄弟たちに対してしています。

9:
あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

10:
盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません。

11:
あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。

 

メッセージ概要

 

 聖書は「仲間同士で解決できず、裁判に至ること」は悲しむべきことであり、互いに訴え合うこと自体が敗北だと指摘します。

 

 第一に、愛とは損を受け入れることです。

 キリストは「ののしられても、ののしり返さず、正しく裁かれる方にお任せになった」(一ペテロ2:23)と証しされています。

 敵を赦す力は十字架にあります。
自分の利益を守るため裁判に勝っても、心に平安があるとは限りません。争いの背景には 「損をしたくない」というエゴがあります。しかし神の国を継ぐ者は、時に損を引き受ける愛の姿を選ぶのです。

 第二に、救われる以前の姿を思い起こすことです。

 性的不道徳、偶像礼拝、盗み、貪欲など「正しくない者」は神の国を相続できないと警告されます。

 私たちの心の中で人を裁き、自分の権利を主張することも、同じ罪の性質から出ています。聖書は「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっている」(ローマ3:23)と言います。

 第三に、キリストによって聖なる者とされることです。

 キリストは私たちの心を洗い、過去の傷や罪を赦し癒やし、きよめてくださいます。

 聖なる者とは神のものとされることであり、神が守り支えてくださる特権です。

 十字架によって義と認められ、罪から解放され、喜びに満たされる新しい生き方が与えられるのです。