「天に生きる希望」

2020年9/13 第二主日敬老祝福礼拝
ー西本耕一牧師ー 

 

 

音声メッセージです。

 

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【聖書】詩篇71篇17~20節
:17
神よあなたは私の若いころから私を教えてくださいました。私は今なおあなたの奇しいみわざを告げ知らせています。
:18
年老いて白髪頭になったとしても神よ私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に。
:19
神よあなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よだれがあなたのようでしょう。
:20
あなたは私を多くの苦難とわざわいとにあわせられましたが私を再び生き返らせ地の深みから再び引き上げてくださいます。

 

メッセージ概要

9月21日は敬老の日ですが、教会では1週間早くお祝いします。長く生きることは神様の祝福です。今日の詩篇71篇にも神様への感謝と賛美が出ています。老年期は季節でいえば秋から冬になるかと思いますが、冬で終わることはありません。冬があればその次は春が来ます。それと同じように、私たちの人生は決して年老いて終わりではないのです。20 節のことばは私たちにとって大きな希望です。

1,神への賛美
この作者は 18 節から推測するとかなりの高齢者であると思います。しかしそれでも神様への感謝の思いは絶えることがありません。それは 17 節に、「私はいまなお あなたの奇しいみわざを告げ知らせています」という言葉に表れています。神様のなしてくださった御業を語らずにはおられない。自分がどのような人生を歩みそして、苦しみに遭っても神様は見放さず助け出してくださった。その救いの業を今なお告げ知らせていると言っているのです。それは幸いなことです。「年取ってもう、体が動かない、思うようなことができない。なんと情けないことか。」と嘆いてはいないのです。それは、16 節に「私はあなたの力とともに行きます」にはっきりとした信仰・決意が表されていることを見ます。私たちも年老いていくのですが、神の力とともに行くことができるなら、これほど幸いなことはありません。しかもこの作者は、 18 節を見れば「あなたの大能のみわざを 後に来るすべての者に」と言っているのは、自分の信仰を次の世代に、次の人たちに知らせるということです。ですから、この人は年取って落ち込んではいないのです。確かに、白髪頭になる現実はあるのですが、あなたの力を世に告げ知らせますと、決意を新たにし ています。それはどこから来るのでしょうか、神から来るのです。

2,天にまで届く神の義
「あなたの義は天にまで届きます」と 19 節で賛美されていますが、神の義とは何でしょうか。義とは正しいという意味ですが、私たちは生まれながらに正しく生きていたでしょうか。決してそうではなかったと思います。心の中で悪いことを考えたり、悪口を言うまた悪事を働くことがあったと思います。そのような私たちは天に届くことはできません。ただ唯一神の義のみが天に届くのです。神の義とは、十字架のことです。私たちの悪事―罪が赦されるのはただ十字 架のみです。十字架が天にまで届くのです。そして、その十字架を通して私たちは天国にたどり着くことができるのです。イエス様は「十字架を負って私に従ってきなさい」と言われましたが、十字架によって私たちは救われます。 19 節に「大いなること」とありますが、十字架が大いなる神の御業です。イエス・キリストに他なりません。

3,天に生きる希望
更には 20 節に復活の希望があります。地の深みから、再び引き上げてくださいますとは、よみがえることを意味しています。イエス・キリストは、死の中からよみがえられました。そして復活のいの ち、永遠のいのちを私たちに与えて下さいます。ですから、私たちはへこたれることはありません。多くの災いと苦難に遭っても、私たちはめげることはないのです。七転び八起きの信仰です。再び生き返らせとありますが、再びとはリピートです。何度も繰り返すのです。何回も苦難や災いが襲ってきても、また生き返るのです。それがクリスチャンの信仰ではないでしょうか。この復活がなければ、キリスト教は 1 世紀で絶えていたと思います。現実には 21 世紀まで続いています。そして、年取っても、「今なお、告げ知らせています。」そしてあなたの大能 のみわざを 後に来るすべての者に」と私たちも知らせる者とさせていただきましょう。