「倒れても起き上がる」

2020年9/27 第四主日伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー 

 

 

音声メッセージです。

 

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【聖書】エレミヤ書 8章4節
あなたは、彼らに言え。『【主】はこう言われる。人は倒れたら、起き上がるものではないか。離れたら、帰って来るものではないか

 

メッセージ概要

今、季節は秋を迎えています。食べ物もおいしいですが、台風など災害の多い季節でもあります。しかし、備えがあるなら心配はありません。最近では、天気予報も細かに予測し、雨の予報もスマホで簡単に見えるようになりました。
私たちの人生にもどんなことが起こるか分かりません。しかし神様は私たちに大丈夫だと励ましの言葉を与えられます。今日の聖書の中にも「人は倒れたら、起き上がるものではないか」と言われています。私たちは倒れっぱなしではありません。必ず起き上がる時が与えられます。

1,試練がある
私たちの人生には試練があります。災害もそうですが、今はコロナの問題があり、会社が倒産したとか失業したと言ったことも聞きます。また、病気などで断念することもあります。水泳の池江璃花子選手は白血病で一時断念されましたが、癒やされ戻ってこられました。確か「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言っていましたが、聖書には「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10:13) とあります。
今 はコロナ禍で人との交わりが制限されていますが、励ましが与えられることは大切です。ネットや SNS 等で人の中傷や批判、悪口が横行し人を傷つけたり事件になったりしています。そんなときにだれが私たちの心を慰め、立ち上がるようにしてくれるでしょうか。

2,慰めてくださる方がおられる
実は、私たちは一人で生きているのではないと聖書は言っています。私たちはただ偶然に自然発生的にこの世に出てきた存在ではありません。聖書は、私たちは創造主―神様によって造られ、神様との交わりに生きることを語っています。
私たちには心があり 、感情があります。泣いたり笑ったりするのは人間に与えられた賜物ではないかと思います。ですから神様との交わりにおいても、泣いたり笑ったり喜んだり悲しんだりする交わりが必要です。「離れたら、帰って来るものではないか」と神様は言われていますが、イエス様は放蕩息子の話をされました。父の財産を分けてもらい、湯水のように使い果たし、豚飼いまでに身をやつした弟息子が、父の元に帰って来る。父は彼を喜んで受け入れ、死んだ者が生き返ったと大喜びし、お祝いをした話が出ています。
今はコロナで、巣ごもりをしている人が多いと聞 いていますが、どこでストレスを発散しているでしょうか。「人は、離れたら帰って来るものではないか」と神様は言われます。エリコの町で一番の金持ちであったザアカイには友達はいませんでした。しかしイエス様が泊まられ、交わりを持たれたとき彼は金の奴隷から愛の人に変えられました。イエス様は、「私は失われた者を探し出して救うためにきた」と言われましたが、彼はイエス様によって愛され、心が豊かにされ、人に自分の財産を与える者と変えられたのです。

3,倒れても起き上がる
私たちは疲れ果てて倒れます。コロナ禍の最大の問題は 自分の弱さではないかと思います。「強いと持っている者は倒れないようにしなさい」と聖書にありますが、私たち自身の心が起き上がる力に満たされているでしょうか。いくら強くてもポキッと折れてそのままでは、枯れ果ててしまいます。
しかし、そのような私たちをイエス・キリストは、復活の力によって立ち上がらせてくださいます。ヨブ記には「木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出しその若枝は絶えることがない。」 (ヨブ 14:7) とあります。復活のいのちがあるのです。
私たちには、死からよみがえられたイエス・キリストがおられ ます。私たちが何度倒れようとも、その愛の御手をもって引き上げてくださるのです。
私たちは、「主よ、お助けください」と信仰の手を伸ばして引き上げていただきましょう。