「祝福の回復」

2020年10/11 第二主日礼拝
ー西本耕一牧師ー 

 

 

音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

                   

【聖書】 エレミヤ書 33 章 69節
:6
見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。
:7
わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。
:8
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
:9
この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』」

 

メッセージ概要

この書を書いたエレミヤは、今から2600年程前に、ユダヤの地で預言者として活躍した人です。彼は涙の預言者と呼ばれました。それは神の言葉を取り次いでも聞く者はなく逆に迫害を受け牢に入れられ監禁されるような有様でした。彼は元々祭司の生まれでした。ですから、神殿で仕えていれば何不自由なく、平穏に暮らせたと思います。しかし本当の幸せは、そうではないことを聖書は私たちに教えています。私たちもまた、困難な中に生きていますが、エレミヤは私たちに神様を信じることの素晴らしさそして、壮大な希望、大いなる未来があることを現代に生きる私たちに語っています。

1,回復と癒やし
神様はエレミヤを通して、イスラエルとユダに回復の約束を与えられました。イスラエルは、ダビデとソロモンの時に大いに栄えました。ソロモンより賢明な王は他にはいませんで した。しかし彼は大きな失敗をしました。それは他の国々と交易をしたのですが、それと共に偶像礼拝が入ってきたのです。それは真の神様が最も忌み嫌われるものでした。「十戒の中に私以外のものを神としてはならない」と言われたにもかかわらず偶像を神殿まで持ち込んだのです。その結果、彼の死後息子が後を継ぎましたが、高慢な政治のために国は二つに分裂したのです。そして北イスラエルは先に滅ぼされ、ユダ王国も偶像礼拝をやめないために、バビロンによって滅ぼされることをエレミヤは預言したのです。
しかし神様の計画はそれで終わっていま せん。6節に「この都に回復と癒やしを与え、…彼らに平安と真実を豊かに示す」と約束されたのです。更には7節にあるように「以前のように彼らを建て直す」と約束されました。分裂していたものが内輪もめして仲違いしていたものを神様は建て直すと言われたのです。
私たちも時には仲違いすることがあると思います。そんなときに仲保者となって下さるのはイエス・キリストです。私たちの罪を赦し、私たちの心の傷をも癒やして下さるのはキリストの十字架です。「その打たれた傷によって私たちは癒やされたのである」とイザヤ書53章に出ているとおりのことをキリストは私たちにして下さるのです。

2,悔い改める
それでは、イスラエルの民は何をなすべきだったのでしょうか。8節に「咎をきよめ、背いたすべての咎を赦す」と主なる神は言われます。彼らの犯した罪は何でしょうか。神ならぬものを神として拝む、偶像礼拝が彼らの咎であったのです。
私たちはどうでしょうか。神様にまったく頼り切っているでしょうか。神様以外のものを宛てにしてしまう、それがある意味、今日での偶像礼拝のようなものではないでしょうか。私たちは神を第一とし、神にのみ信頼を置いて、神に生きる。このこ とを神様は願っておられるのです。ですから、このことを苦難の預言者エレミヤに語らせたのです。そしてバビロン捕囚となり、70年の時を経て帰還することとなったのです。

3,祝福の回復
9節の都は、エルサレムです。神の平和という意味があります。現在は平和ですが、過去においては多くの戦いがあり、滅ぼされた所です。しかし神の約束は、栄誉と栄え、祝福と平安を与えると約束されています。
この約束は、現世的な約束ではありません。聖書を読むと、キリストの再臨そして千年王国のことが出てきます。ですから、後に起こる約束でもある のです。そして究極的な約束は天国です。そこが真の意味でのエルサレム―神の平和、平安があるところです。エレミヤはエルサレムの回復を預言しましたが、私たちはさらに主の再臨、そして永遠に栄え平安に満たされた天国に入れることを信じ、希望をもって生きるものとさせていただきましょう。