「主の内にいる幸い」

2021年10/17 第三主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー

聖書】 詩篇 91篇 1~9節
:1 いと高き方の隠れ場に住む者その人は全能者の陰に宿る。
:2 私は 主 に申し上げよう。「私の避け所私の砦私が信頼する私の神」と。
:3 主こそ狩人の罠から破滅をもたらす疫病からあなたを救い出される。
:4 主はご自分の羽であなたをおおいあなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦。
:5 あなたは恐れない。夜襲の恐怖も昼に飛び来る矢も。
:6 暗闇に忍び寄る疫病も真昼に荒らす滅びをも。
:7 千人があなたの傍らに万人があなたの右に倒れてもそれはあなたには近づかない。
:8 あなたはただそれを目にし 、 悪者への報いを見るだけである。
:9 それはわが避け所 主 をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。

メッセージ概要

緊急事態宣言が解除され、コロナ感染も少し収まっているように見えますが、油断できません。また冬になると第 6波が来るのではないかと言われています。
 しかし私たちは心配する必要はありません。なぜなら絶対的な守りがあるからです。私たちが最も恐れるのは、自分の死ではないかと思います。
 神様は守って下さいます。神様を信じることによって死の恐れに対しても、打ち勝つことができるのです。

1,神の名について
 ここでは4つ神の名が出ています。「いと高き方」「全能者」「主」「神」みなひとりの方を指しています。全てのものを創られ、支配しておられる全能の神です。
キリスト教の信仰とは、その全能者と私の関係であるといえます。いかにこの方を信頼するか、信じるか、自分の信仰にかかっているのです。

 この作者はわかりません。ダビデかもしれません。サウロ王の追っ手を逃れて、隠れるダビデの信仰を表しているともとらえられます。またこの詩編は、至聖所の詩編とも言われます。それは「いと高き方の隠れ場」「全能者の陰」「避け所」は神殿の奥にある聖所の、さらに奥まったところにある至聖所を意味すると言われています。

 至聖所は、年に1度大祭司だけが入るところであり、そこでいけにえを献げ、香を焚き、神に取りなしの祈りを捧げるところです。大祭司は衣に鈴をつけて、鈴が鳴っている間は生きている、奉仕をしていることがわかるようにしていました。高齢になっても奉仕していたからです。

 そしてここでは大きな意味があります。2節 9節に出てくる「避け所」という言葉です。簡単に言えばシェルターです。何年か前、携帯のアラームがよく鳴っていました。ミサイルが飛んでくると言うようなニュースもありました。そのとき、家庭用のシェルターもよく売れたそうです。

 しかし、神様が「避け所」と言われるのはこの世の事だけではなく、私たちの死に関して避け所となって下さる。完全に守って下さる方である、ということなのです。それはまさに、4節にある「ご自分の羽であなたをおおい」というように、雌の親鳥がその雛を守るような事です。神様は私たちを愛し、慈しんで守って下さる方です。

2,神は私の避け所
 3節に狩人の罠とありますが、罠とは相手に見えないように仕掛けられるものです。木の枝や葉っぱで隠し、それを知らないで獣が踏むと罠にかかるのです。私たちを攻撃してくるのは、人ではなくサタンです。私たちを神から引き離し滅びに引きずり込むのです。私たちの内に混乱を生じさせたり、誘惑して悪魔に妥協させたりするのです。その罠に私たちは 引っかかってはならないのです。神の言葉―聖書に従って、神に守られていく以外にありません。

 3節 6節に「疫病」とありますが、出エジプトのときやダビデの時にもありました。今のコロナ感染もその一つです。5節に夜襲の恐怖とあるのは精神的な病、不眠症のようなものかもしれません。コロナ感染でもストレスに悩 まされます。6節「真昼に荒らす滅び」とは 皮膚癌を引き起こす紫外線かもしれないと言われた方もあります。とにかく、ありとあらゆる災いを全能の神様は防ぎ、守って下さる方です。

 エジプトを脱出するときも、全ての初子が死ぬという災いがありました。しかし、柱と鴨居に子羊の血を塗ったイスラエルの全家は守られたのです。災いはイスラエルの人々に近づかなかったし、イスラエルはそれを目にし、見るだけだったのです (7,8節)。

 今の私たちには、イエス・キリストの十字架があります。十字架の血潮によって私たちは守られます。キリスト の贖い―罪の赦し、代価によって私たちは神のもの、神の子とされたのです。
 この神様の内に住むなら、すなわち信じてゆだねるなら、神は避け所となり、私たちをあらゆる災いから守り、永遠のいのちを与えて下さるのです。

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