「信仰に生きる」

2021年10/31
第五主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

聖書】 ローマ人への手紙 1章 16~17節
:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
:17 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

メッセージ概要

今日は、教会のカレンダーでいうと「宗教改革記念日」になります。
 マルチン・ルターがヴィッテンベルク城で「95箇条の論題 」 を張り出したのが始まりと言われています。
当時、免罪符が売られており、お金で天国には入れるのか、そうではない。とルターは主張しました。

1,福音は神の力
 私たちが天国には入れるのは、よいことをしたから天国に入れるのではないのです。なぜなら聖書には「義人はいない。一人もいない。」と言っています。多少はよいことをやっているかもしれません。しかし完全に100%自分は正しいとはいえないのです。ルターもこの問題で悩みました。またローマ書をかいたパウロも悩みました。私たちも自分が完全に正しいのか、悩むところです。

 パウロは「福音を恥としない」と言っています。福音とは何か、Good Newsよい知らせです。 何がよいことなのか、自分が今までやってきた悪いことが全部赦される、帳消しになると言うことなのです。

パウロは確信しました。自分が今まで、クリスチャンを迫害していたことは、すべてイエス・キリストが十字架にかかって、罪を背負い身代わりに死んで下さった、と信じることができたのです。ですから、彼の人生は変わりました。クリスチャンをいじめる人から、イエス・キリストを伝える人になったのです。驚くべき変化です。その変化は全世界にもたらされました。

 彼は律法学者であり厳格なパリサイ主義者、 道徳家でしたが、福音により、「しなければならない」律法主義から解放され、愛の人 、 寛容な人に変えられた のです。しかも、十字架に死なれたイエス・キリストを恥とはしませんでした。

 福音を語ることを恥としない。大胆な力が彼に与えられたのです。
 ユダヤ人、ギリシア人どんな人にも救いを与えることができる神の力であると確信し、力強くダイナミックな生き方ができるようになったのです。

2,信仰によって生きる
 ルターもまた、信仰によって変えられました。彼は大学生の時、落雷に遭い、九死に一生を得ました。彼はなんと修道院に入ったのです。そしてその中で、神に正しいとされるのは行いではない、信仰によって義と認められる、正しい生き方ができると確信したのです。

 ですから免罪符を売ることは間違っている。天国には入れるのは信仰のみだ、と訴えて言ったのです。それがプロテスト―抗議する、プロテスタント教会の始まりとなったのです。

 ルターの、またパウロの確信する「福音」とは何でしょうか。イエス・キリストの十字架と復活です。これが福音です。十字架によって私たちのすべての罪は赦され、復活によって新しいいのち―永遠のいのちに生きる。それが福音なのです。

 私たちも福音を信じるなら、私たちのすべての罪は赦され、新しく生きることができるのです。信仰によって私たちは日々新たにされ、生きる活力が与えられ、天国を目指して未来志向に生きることができるのです。それがまさに神の力です。私たちの不信仰を吹き飛ばし、信じる力を与えて下さるのです。

 ルカ 18:20には神殿で祈る、立派な人パリサイ人と不正を行う取税人が出てきます。パリサイ人は「 奪い取ったり、不正をしたりする取税人ではないことを感謝します 」。と祈り、取税人は胸を打ちたたきながら「罪人の私を哀れんで下さい」と祈りました。キリストは神が義とされたのは、パリサイ人ではなく、取税人であると言われたのです。

 なぜなら、義と認められることは、自分は立派なものだと偉ぶったり、高ぶる者ではなく、神の前に無力な罪人にすぎないと認めるところにあるのです。
 自らを低くするものは神によって高く引き上げられるのです。それが神によって義と認められる事なのです。

 ルカ19章には、取税人であったザアカイが救われ、彼の人生は金と権力から、愛と喜びの人生に変えられることが出ています。私たちの人生も福音―神の力により、変えられるのです。

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