「救われるためには」

2022年2/27
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

【聖書】 マルコの福音書 2章 17節
:17 これを聞いて、イエスは彼らにこう言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」

メッセージ概要

テレビのニュースで、ロシアのウクライナ侵攻のことを報じていますが、戦争には正義はありません。それは人間のなせる罪のわざの一つであると思います。

 時代は進んでも、人間の罪が減る気配はまったくありません。 むしろ悪が増大し、終わりの日が近づいているように思われます。ですからこそ、私たちには救いが必要である、といえると思います。

 どうすれば本当に平和な世の中になれるのか、そして私たちの心に平安と喜び希望が持てるだろうかと思います。

 キリストは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」と言われました。私たちの心に平安・喜び・希望を与えていただくためにすることは何でしょうか。

1,罪がわかる
 イエス・キリストは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です」と言われました。病院へ行くと病気の人が多いです。当たり前です。私はどこも悪くありません、と言う人は病院に来ません。来るのは病気の人です。

 実は、イエス・キリストは中風の人を癒やされました。脳の病気です。脳梗塞です。それを瞬時に癒やされたのです。その人は自分で来る力はありませんでした。四人の友達に担がれてきたのです。そしてキリストは「あなたの罪は赦された」と宣言されたのです。その人はたちどころに良くなって寝床をたたんで帰りました。当時は病気の原因は罪にあると人々は考えていたのです。

 今日も病気は多いです。身体の病気もありますが、精神・心が病む病気もたくさんあります。
 今日、私たちは自分を正しいとするあまり、些細なことで裁き合い、人の心を傷つけてしまうことがあるのではないでしょうか。

 取税人マタイはイエス様により救われ、彼は喜びに満たされて、イエス様を食事に招きました。それを見ていたパリサイ人たちは「罪人と一緒に食事して」と非難したのです。そのときにイエス様は、「医者を必要とするのは病人で、わたしは罪人を招くためにきた」と言われたのです。おそらくその言葉によって、マタイは救われたでしょう。

 彼は取税人でした。お金をごまかして後ろめたい思いが心にあったでしょう。彼は自分の罪がわかりました。その解決がなければ、いくら金を儲けても自分は豊かになれない、自分の心は傷ついている。
しかし、イエス・キリストが自分の心を癒やされる。いや、新しくされる。そのことを信じて従って言ったのです。

2,キリストを信じる
 イエス・キリストは中風の病気の人に、あなたの罪は赦された、と宣言されました。律法学者たちは「神以外に罪を赦す方はいない」と言ったのです。ところが中風の人は癒やされ立ち上がりました。彼は癒やされたのです。いやしたのはキリストです。

 私たちが自分の状態をありのままに認め、そして、「あなたの罪は赦された」と、宣言されるキリストの声を聞くときに、私たちもまた罪が赦され、救われるのです。

 私たちは自分が罪人である事を認めなければなりません。罪とは的外れ、神様の御心に従っていない生き方をしている、と言うことです。神の御心は互いに愛する、ということです。自分に愛があるのか、それは自分が一番よくわかることです。愛がない人生ほどむなしいものはないと思います。愛があれば、全ての問題は解決します。その力は十字架にあります。
キリストが十字架でいのちを捨てて下さったことによって、私たちは愛がわかりました。十字架によって過ちは赦される、私たちは救われるのです。

 キリストが来られたのは義人を招くためではなく、私たち罪人を招いて、赦して下さり、私たちを癒やして下さるためなのです。

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