「義の冠を得るために」

2020年12/27 年末感謝礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】テモテへの手紙第二 第4章6~8節
:6
私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
:7
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

:8
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。

 

メッセージ概要

 今日は2020年最後の礼拝となりました。今年も様々なことがありましたが、私たちは後を振り返るよりも、さらに前を見て前進して行きたいと思います。

1、パウロの目的地
 彼はこの手紙をエペソで伝道している弟子のテモテに書きました。彼に対して、励ましや忠告を与えていますが、これは今日の私たちに与えられた神の御言です。

 彼はこの手紙を2回目の牢獄の中で書きました。最初、彼が捕らえられたときは比較的緩やかで、人の行き来もあり信仰の証しをする機会もあったのですが、このときはもはや自分の死を覚悟したものであったのです。それはこの所の言葉で分かります。すなわち6節には「注ぎのささげ物」とありますが、「祭壇に献げる犠牲の血」であり、彼が殉教の死を遂げることを言っているのです。傍目から見るならば残酷であり、苦しいし、怖いことのように思われますが、彼の心はそうではありませんでした。むしろ彼の心は晴れ晴れとし、新天新地に向かう希望が感じられます。それは、「世を去る」という言葉に表れています。去るとは「綱を解く」という意味があり、船の綱が解かれ新しい船出の意味があります。ですからパウロは死を恐れませんでした。むしろそれは新しい出発であり、彼の目的地はもはや、地の果てイスパニア(スペイン)ではなく天の御国であったのです。

2、充実した人生
 7節には彼の信仰生涯の要約が出てきます。その出発点は、迫害者サウロでした。神に敵対する者でした。しかしダマスコ途上で復活のイエス様にお出会いし、心がまったく変えられて、イエス様に従う信仰が与えられたのです。確かに彼は勇敢に戦いました。彼の信仰の戦いは「使徒の働き」に記されています。そして彼は負けなかったのです。倒されなかったのです。そして充実した人生を全うしました。
「走るべき道のりを走り終え」というのが彼のなすべきことを全うした充実感が表れています。そして、信仰を守り通したと言っていますが、その信仰とはキリストに対する愛と真実です。彼はそれを全うしたのです。私たちはどれほどキリストの愛に応える生き方をしているでしょうか。

3、義の冠を求める
 8節には、「その日」が出てきます。それは死んだのち、神様の前に立つ日です。彼は何を求めたでしょうか。「義の冠」です。聖書にはあと、栄光の冠といのちの冠があります。三つ揃えば三冠王です。マラソン競技で優勝者には月桂樹の冠が与えられました。ですからパウロも走るべき行程を走り終えて、義の冠が待っているばかりであると言うのです。彼は何よりもそれを求めたのです。なぜ義の冠か、それは神による罪の贖い―罪のゆるしです。おまえの罪は全部赦された、それを栄光の主キリストが自ら授けてくださるのです。これほど栄光に富んだ尊いものは他にありません。義とは我の上に羊が覆っています。キリストの贖いにより、十字架の血潮によって私たちの罪が赦され、神の子とされるのです。その栄冠が、キリストによって与えられる。その時が来るのです。

 主の現れをしたい求める者にはだれでも授けてくださるとパウロは語っています。
私たちも、キリストの義を追い求める、十字架によって罪あやまちが赦される、その信仰を全うしたいと思います。そして、やがての日には私たちも、イエス様の手から義の冠を授けていただける者としていただきましょう。

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