「復活の勝利」

2021年3/21 第三主日
召天者合同記念礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】コリント人への手紙 第一 第15章50~58節
:50
兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
:51
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
:52
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
:53
この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
:54
そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に?み込まれた。」
:55
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
:56
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
:57
しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
:58
ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

 

メッセージ概要

 今日は召天者合同記念礼拝です。先に天に召された方々を偲び、さらに私たちに与えられている復活の信仰をみことばによって確信し、前進させていただきたいと願っています。

1,血肉のからだは神の国を相続できない
 私たちは今、肉体を持って生き生活していますが、死んだ後は今持っているこの身体を持って神の国すなわち天国では生きることはできないのです。
 
 なぜなら私たちの肉体は、若いときには成長しますが、その後衰えてしまいます。それはだれでも解ることです。しかしそのような身体で永遠には生きることはできません。ですからパウロは 51 節で、「奥義」という言葉を使っています。これは英語のミステリーと語源が同じで、神秘的なものです。神に属する事柄です。不思議としか言いようのないものです。それが52 節に出てくる「私たちは変えられる」と言うことです。それは聖書の他の箇所に出てくるのですが(ピリピ 3:21) 、一瞬にして変わるのです。徐々に変えられていくのではありません。  

 しかもそれは「終わりのラッパ」が鳴ると、とあります。それはキリストの現れのときです。それはいつか解りません。私たちが死んで神様の裁きの座につくときなのか、それともキリストが天から下ってこられる聖書の言う「再臨」のときなのか。しかしいずれにせよ、私たちには希望があります。それは 、 自分の身体が天国で永遠に生きるのにふさわしい身体に変えて いただける ことです。

 私たちは着ている服を替えます。もうすぐ暖かくなりますから、冬の服から春服に衣替えします。しかし、 私たちの身体は自分で変えることはできません。ところが神様は全能の神ですから、私たちをまったく新しいものに造り変えて下さることができるのです。

 このところでは、 53 節にあるように「死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになる」と約束され ているのです。黙示録には純白の衣を着た群衆が出てきますが (黙示録 7:14) すべて子羊の血で真っ白にされた人たちです。それは外見だけではなく、彼らの心も真っ白です。

2,復活の勝利
 「死は勝利に飲み込まれた」と聖書は言っています。勝利とはキリストの勝利です。復活の勝利のことです。法隆寺の五重塔を見学していた宣教師は突然「ハレルヤ、バンザーイ」と叫んだそうです。仏塔は釈迦の遺骨を祀るものであると説明を受けた時「イエスは墓からよみがえられ、死んでは おられない、生きておられる」と叫ばずにおられなかったそうです。

 実はキリストが復活したことは私たちにも当てはまるのです。私たちも キリストと同じ栄光の復活の体に変えられるのです。「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」とパウロは叫びましたが、キリストの復活により完全な勝利が与えられます。死を恐れません。罪の不安にもさいなまれません。 なぜなら、私たちの罪はすべて、十字架によってキリストが身代わりに受けて下さり、復活によって罪にも死にも勝利して下さったのです。

3,主のわざに励む
 ですから 、 私たちはいつもこの信仰、復活の信仰に立って、人を恐れることな く大胆に、主のわざ、すなわちキリストが救い主であることを伝える、証しする―このことに励むことです。

 クリスチャンという言葉は、いつもキリスト、キリストと言っているところから、そのように呼ばれました (使徒 11:26) 。私たちはクリスチャンと認められているでしょうか。日々の生活の中に困難や苦しみの中に、死に勝利され平安があるようにと言われるキリストが共におられる。そのことを信じ、証しする者とさせていただきましょう。

 

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