「キリストの香り」

2021年6/13 第二主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 


音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】コリント人への手紙第二 第2章14~17節
:14
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。
:15
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。
:16
滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。
:17
私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。

 

メッセージ概要

 今日は教会の暦では花の日・子どもの日です。今から156年ほど前、アメリカ・マサチューセッツのメソジスト教会で信徒が花を持ち寄り子どもたちと共に礼拝をし、午後に花を持って病者を見舞い、各施設を訪問したのが始まりと言われています。日本でも6月第二日曜が花の日・子どもの日となりました。
 美しい花を贈られると心が和みます、嬉しいものです。私たちは今、コロナ感染にあって花を配ることはできませんが、聖書にあるとおり「キリストの香り」を放つものでありたいと思います。

1,キリストの凱旋に加えられる

 14節を見ますと、パウロは神様に感謝しています。なぜなら、キリストの凱旋に加えられたからです。当時、ローマ軍が敵に勝利したとき凱旋門を通ってパレードが行われました。「行列に加え」という言葉は、捕虜としてとらえられる意味がありますが、パウロは自らをキリストのしもべとし、キリストに従い仕えるものとなりました。私たちもキリストによって救いに与り、キリストに仕える者となって勝利の凱旋に加えられたのです。

 私たちの凱旋するところはこの世の都ではなく、天の都―神の国です。キリストこそ勝利の王であり、私たちはその行列に加えられて天の都を目指していくのです。

2,キリストの香り

 凱旋パレードの際には、たくさんの花びらや香草がまかれ、凱旋する兵士や馬、戦車に踏まれ良い香りを放っていました。キリストの凱旋に加えられた私たちのなすべきことは、キリストのかぐわしい香りを放つことです。花の香りは、散らされ踏まれることによって周りに香りを放つことができます。

 ですから、私たちも踏まれ散らされることはつらいことではあるのですが、そのことによってキリストの香りを放つことができます。
 もし私たちが、人から、いやな思いをさせられるとき、不平や不満が口から出ることがあります。しかし、キリストによって罪が赦されたらどうでしょうか。私たちの心にある悲しみや憎しみをキリストが取り除き、平安と喜び希望を与えて下さるなら、自分の口からは不満や不平は出てこなくなるのではないでしょうか。

 キリストは私たちを勝利の凱旋に加えて下さいました。平和の御国に入らせて下さるのです。そのことを信じるなら、私たちはパウロのように、神様に感謝を献げ、キリストの罪のゆるし、救いを告げ知らせることではないでしょうか。14節には「キリストを知る知識の香り」とあります。

キリストを知るとはキリストの十字架の意味を知ることです。踏まれ散らされるときに、悪臭を放つのではなく良い香り、「神に献げられた芳しいキリストの香り」を放つのです。「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず」(Ⅰペテロ2:23)というキリストの姿を証しすることです。「雨にも負けず風にも負けず」宮澤賢治の詩ですが、モデルはクリスチャンです。信仰は違っていても、彼をして「そういう者にわたしはなりたい」と言わしめた信仰の香りがあったのです。

3,キリストにあって語る

 パウロは、これは「いのちに至らせる香り」であると言っています。キリストを自分が証しすることによって良い香りを放ち、救われる人が起こされるのです。
 パウロは、「神のことばに混ぜ物を…せず」と言っています。ただ真実に、神様からいただいた永遠のいのちと神様の愛を証しするなら、さらに永遠のいのちを得る人たちが起こされてくるのです。
 私たちもまた、キリストの凱旋に加えられ、たとえこの世で見世物にされようが、踏まれ散らされようが、キリストの愛の香りを放ち、心から神様に感謝を献げるもとのさせていただきましょう。

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