「救い出される主」

2021年6/6 第一主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 


音声メッセージです。

 

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【聖書】詩篇 34篇4~8節
:4
私が 主 を求めると主は答えすべての恐怖から私を救い出してくださった。
:5
主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔は辱められることがない。
:6
この苦しむ者が呼ぶと 主 は聞かれすべての苦難から救ってくださった。
:7
主 の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。
:8
味わい見つめよ。 主 がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ主に身を避ける人は 。

 

メッセージ概要

 今日は詩篇34:4~8節ですが、ここには苦難や試練を乗り越える秘訣が記されています。この詩篇を詠んだのは表題にあるようにダビデでしょう。彼はイスラエルの王として今でも尊敬されています。
有名なのはペリシテ人ゴリアテを倒したことです。しかし何と彼はサウル王に追われ、命からがらペリシテ人の王の下に逃れてきたのです。しかも気がふれたかの様にして、身を隠そうとしたときのことを覚えて、この詩を読んだのです。

1,主を仰ぎ求める
 苦しみの第一の解決は、主を求めることです。主とは全能の神です。万物を造られ、支配し治められる神です。ですから私たちも助けを人に求めるものではありません。人を当てにすると失望してしまうこともあるでしょう。なぜなら人間は完全ではないからです。

確かにダビデはペリシテ人の王の所に逃げ込みましたが、絶対的なものではありませんでした。また長く続くものではありませんでした。やがて彼は体制を立て直し、イスラエルを治めて、逆にペリシテ人に勝利する者となったのです。それは主なる神様を求めたからです。彼はまた祈りの人でもありました。祈りは神との会話であり、交わりです。ダビデが詠んだ詩篇はたくさんあります 。それだけ彼は神に祈り、励ましを受け、賛美を歌ったのです。彼の勝利の秘訣は祈りにあったのです。

 ですから、4節には「すべての恐怖から救い出してくださった」と証ししているます。
 そして苦難の中にこそ、主を仰ぎ見るのです。彼らは輝いたと5節にありますが、それは貧しい者たちのことでしょう。寄る辺のない、力ない者も主を仰ぎ見るなら、顔は輝くのです。喜びに満たされ、決して辱めを受けることはないと、屈辱的な苦しみを味わったダビデは断言しているのです。
 ですから、私たちも様々な困難がありますが、主に叫ぶ、すなわち祈るなら、必ず助け出し、救って下さるのです。そのことを信じましょう。神様はまた、御使いを用いて私たちをも守り助けて下さいます。預言者エリシャも敵の大軍に取り囲まれたとき、従者に「恐れるな。私たちと共にいる者は彼らより多い」と言って励ましたのです。
何と山には火の馬と戦車が満ちていました (Ⅱ列王 6:15~17) 。そして彼らは助け出されたのです。私たちも、主に祈り 、神の 御顔を仰ぐなら、あらゆる困難の中から救い出して下さいます。

2,主の慈しみを味わい知る
 そして幸いなことが8節に出てきます。主の慈しみを味わい知ることです。この味わうとは、体験するという意味があります。味は見るだけでは分かりません。食べてみなければ分からないのです。いくら食堂の前でショーウインドウに並んでいる見本を見ても味は分かりません。それを食べる以外にはないのです。ですから神様が憐れみ深い方であることをどのようにして知ることができるでしょうか。

 それは苦しみに遭ったときに分かるものです。苦しみなくして十字架の意味は分かりません。しかし苦しみに遭ったときに十字架の意味はわかります。自分が苦しみに遭い、惨めになり落ち込んだときにこそ、十字架を味わう ことができるのです。キリストの十字架はこんな自分をも憐れみ慈しんで下さる、悩みと恥をあの十字架で受けて下さった。そして自分の失敗過ちを赦して下さった。それがわかるのです。味わうことができるのです。

ダビデは尊敬される王でした。しかし彼は姦淫の罪を犯し、重ねて殺人の罪を犯しました。その罪が発覚したとき彼は衣を裂き、灰をかぶって悔い改めたのです。そんな彼を神様は憐れみ愛し、慈しんで赦されたのです。

 彼は、神様の絶対的な罪のゆるし、救いを味わい体験したのです。罪の滅びから救われたのです。それは詩篇の32篇と51篇に現されています。
 私たちもまた、苦しみの中に、主の十字架を仰ぎ見、主の憐れみと慈しみを味わい知るもの、滅びから救われる者とさせていただきましょう。

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