「神を伝える」

2021年9/12
第二主日 敬老祝福礼拝
ー西本耕一牧師ー

 


音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

聖書】 詩篇 第71篇 16~20節
:16 神 である主よ私はあなたの力とともに行きます。あなたのただあなたの義だけを心に留めて。
:17 神よあなたは私の若いころから私を教えてくださいました。私は今なおあなたの奇しいみわざを告げ知らせています。
:18 年老いて白髪頭になったとしても神よ私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に。
:19 神よあなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よだれがあなたのようでしょう。
:20 あなたは私を多くの苦難とわざわいとにあわせられましたが私を再び生き返らせ地の深みから再び引き上げてくださいます。

 

メッセージ概要

 9月第三月曜日は敬老の日です。老人を敬うことは聖書にも出てきます (レビ 19:32)。神様が喜ばれることです。
 ある方は人生には四季があると言いましたが、老いることは秋から冬に向かう姿かもしれません。しかしイエス・キリストを信じるなら、まったく違う新しい春が来る、よみがえる時が来ることをこの詩篇から見ることができます。

1,神の大いなる御業
 この詩篇の記者は年老いていたと推測されます。なぜなら18節に「年老いて、白髪頭になった」という言葉が出てきます。しかしたとえ年老いても、信仰はしっかりしていることがうかがえます。それは16節のはじめに「私はあなたの力とともに行きます」とその言葉に表されています。たとえ自分が年老いても、全能の神様は私に力を与えて下さり、その力によって私は行くことができる。それは神の御もとに来るという意味があると思いますが、その信仰によって前進することができるのです。ですから、信仰は素晴らしいと思います。

私たちの力はだんだんと弱くなってきますが、信じる信仰は衰えることはありません。なぜなら神様がその力を与えて下さるからです。ヨシュア記 14:10~14にカレブのことが出ています。 彼はそのとき85才でした。しかし彼は主を信じ、イスラエルに敵対するアナク人を追い払って自分の相続地を得ることができたのです。彼は「イスラエルの神、主に従い通したからである」とあります。

 ですから、私たちもたとえ自分は弱くとも、「私はあなたの力とともに行きます」という信仰があるなら、困難に打ち勝ち、勝利し栄光に与ることができるのです。

 17節には「あなたは私の若いころから私を教えてくださいました」とありますが「教える」とは「 鞭で打つ 」という意味もあります。神の教えは、机上の学びでもなければ本で読み、知識を得るものでもありません。それは 20節に「あなたは私を多くの苦難とわざわいにあわせられました」という言葉に表されています。神は私たちを愛されるが故に、鞭で打たれることもあるのです。苦難を通して、神の愛の深さを知ることができるのです。言わば「十字架なくして栄冠なし」と言うことです。

この苦難や試練を通して何がわかるのか、それは「あなたの義」 (16,19節 )ということです。神様は正しかったということが苦難を通して知ることができます。それはまさにキリストの十字架です。18節に「私を捨てないでください」とありますが、詩篇 22編 1節の「どうして私をお見捨てになったのですか」と同じ語が使われています。キリストが代わりに十字架で捨てられたのです (マタイ27:46)。

ですから、ここの箇所は十字架と置き換えても意味は通じると思われます。「 ただ十字架を心に留めて 」、「 十字架は天にまで届きます 」。私たちは十字架の愛によって前進し、天にまで届くことができるのです。

2,神を伝える
 この詩人は2度「告げしらせ」(17,18節)といっています。過去の事ではなく、今なお告げ知らせているのです。それは神の大いなる御業、救いの御業です。自分を苦難の中から立ち直らせ生き返して下さったことです。20節には「多くの苦難とわざわい」とあるのですが 一度だけでなく何度もなのです。しかし、そのたびごとに引き上げて下さった。このことを詩人は証ししているのです。それは、まだ信じていない人たちに18節には「後に来るすべての者に」とあります。

ある老人がリンゴの苗木を植えました。それを見ていた人が、「自分が植えても食べられないでしょう」と言ったときに、「それは自分のためではない。後の人が食べられるように植えているのだ。」と答えたそうです。私たちも自分が救われたことを後の人に語るものでありたいと思います。

 そして私たちが語るべきは、復活―永遠のいのちです。20節の「 地の深みから …引き上げて」とはよみがえりのことです。復活なくして希望はありません。

私たちの人生は、秋となり冬が来て終わりではないのです。必ず新しい春が来る。まったく新しいいのちに生かされて、常世の春を迎えることができるのです。そのことを信じて神様の大いなる御業、救いを老いてもなお大胆に証しさせていただきましょう。

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