「主の内に住む」

2022年 10/2
第一主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】  詩篇 91篇 1~9節
:1 いと高き方の隠れ場に住む者 その人は全能者の陰に宿る。
:2 私は に申し上げよう。「私の避け所私の砦私が信頼する私の神」と。
:3 主こそ狩人の罠から 破滅をもたらす疫病から あなたを救い出される。
:4 主はご自分の羽であなたをおおい あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦。
:5 あなたは恐れない。夜襲の恐怖も昼に飛び来る矢も。
:6 暗闇に忍び寄る疫病も 真昼に荒らす滅びをも。
:7 千人があなたの傍らに 万人があなたの右に倒れても それはあなたには近づかない。
:8 あなたはただそれを目にし 悪者への報いを見るだけである。
:9 それはわが避け所 を いと高き方を あなたが自分の住まいとしたからである。

 

メッセージ概要

 私たちは災害の多い現代に生きています。しかし全能の神様は今も生きて働いておられ、私たちを守ってくださいます。

1,神様は私の隠れ場
 この詩篇をうたった人は、おそらくエルサレムの神殿で奉仕をしたことがあり、エルサレムが攻められ、苦難に陥った状況を詠ったのではないかと思います。そのような中にあっても、神様は「隠れ場」であり、避け所、また砦である。と記者はうたっています。

 列王記第二19章では、エルサレムがアッシリアの大軍に囲まれたとき、ヒゼキア王は衣を裂き、粗布をまとって神殿で祈りました。
そして預言者イザヤに祈りの応援を頼んだところ、なんと一夜のうちに、アッシリアの大軍18万5千人が倒されたのです。それはまさに、信仰による神の戦いであり、信頼するイスラエルに勝利を与えられたのです。

 ですからこの詩人は「私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神」と歌ったのです。
 私の「避け所」と2節にありますが、英語で言えばシェルターです。現在では核シェルターが注目されています。鉄板や分厚いコンクリートで覆われ、ごつごつしたイメージがあるのですが、神様のシェルターは違います。4節に「ご自分の羽でおおい その翼の下に身を避ける」とあります。たとえば羽毛布団を着て寝るようなものです。重たくなく、ふわふわして寝心地がいい、快適で安らぎがある。それが神様の守りです。

2,私は恐れない
 5節に「夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も」とありますが、ウクライナはロシアの軍事侵攻を受け、ミサイルで民間のアパートも攻撃されて、まさに現地の人は恐怖の中にいることと思います。日本でも、北朝鮮からのミサイル発射で、携帯の緊急アラームが鳴ったことがありますが、ある人は戦時中の空襲警報を思い出した、と言われました。生きた心地がしない、休まらないのです。しかし神様は「あなたは恐れない」と言われます。なぜならその前の4節で「主の真実は大盾 また砦」と約束されているからです。神様は絶対に、信頼する者を守ってくださる。それが約束です。

 6節7節の出来事は、出エジプト記にあるエジプトで起こった最期の災いである、と言われています。それは王を初め奴隷、果ては家畜に至るまで初子が殺されるという災いでした。エジプト中で叫び声が上がったのです。しかし、柱と鴨居に子羊の血を塗ったイスラエルの家には災いは来ませんでした。過ぎ去って行ったのです。

 その子羊の血は、十字架で流されたイエス・キリストの血潮を現していると思います。私たちもキリストの十字架によって、罪が赦され、救いに与るのです。

3,神を自分の住まいとする
 なぜ、神様はイスラエルを災いから守り、そして救われるのか。それは9節に理由が述べられています。「主を 自分の住まいとした」からです。

 主、つまり神様が自分の住まいである。自分の住むべき所である。そこで生活し、生きると言うことです。

 信仰のことばで言うなら、神のみ声を聞き、神に求め、語り合うことです。それは具体的には日々の生活の中で、少しずつ聖書を読み、また声に出して祈って行くことではないでしょうか。それが神様を自分の避け所とし、自分の住まいとする。神の中に自分は生きる。と言うことではないでしょうか。

 神様にすべてをゆだね、信頼し、お任せして、平安を与えていただきましょう。

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