「ペンテコステの日」

2021年5/23
第四主日ペンテコステ礼拝
ー西本耕一牧師ー

 


音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】使徒の働き 第2章36~47節
:36
ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
:37
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
:38
そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
:39
この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
:40
ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
:41
彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
:42
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
:43
すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
:44
信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
:45
財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
:46
そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
:47
神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

 

メッセージ概要

 今日はペンテコステの日です。元々は小麦の収穫を祝うユダヤのお祭りでした。全世界からエルサレムに集まり、豊かな収穫をお祝いする日でした。その時に、約束の聖霊― 助け主は働かれ、教会が誕生したのです。ですから、ペンテコステは教会の誕生日と言えると思います。

1,真実な悔い改め
 この日に隠れていた弟子たちは大胆に人々に語りました。ペテロは「このイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」と言ったのです。それを聞いた人々は心を刺されて、「どうしたらよいのでしょうか」と尋ねました。それはまさに聖霊の働きでした。聞く者にも御聖霊は働かれ、罪の恐ろしさを知らされたのです。

 ペテロは「悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」と勧めました。悔い改めとは、方向転換です。自分勝手な生き方から、神に向かう、神に従って生きる生活をすることが悔い改めです。

 ですから、クリスチャンとは、自分の罪が分かる 。 その罪が十字架によってのみ赦される 。 そして 、復活のキリストが平安を与えて下さり、キリストに従って生きるのがクリスチャンであると言えると思います。

 何とこの日に神のことば信じ、バプテスマを受けた人が三千人ほどいたのです。それはまさに神の御業でした。 11人の弟子たちと、120名ほどのクリスチャンでどれほどの事ができるでしょうか。神の御業としか言えないのです。それは聖霊の働きです。

2,教会の働き
 クリスチャンの仲間に加わった三千人ほどの人たちはどのように生活したでしょうか。
4つの事をしていたことが、42節に出てきます。

 まず第一のことは、使徒たちの教えを守ることです。それは神のみことば-聖書の言葉を守ることです。今日で言えば、聖書のことばを聞き、または読み、心の中に覚える 唱えて暗記する。そして神の言葉を実践する。たとえば、イエス・キリストが愛されたように愛することを行うことです。

 それは 、次の「交わり」と深い関係があります。この交わりは単なる交遊ではありません。44節にある「一切の物を共有する」 45 節の「所有物を売って分配する」 46節の「喜びと真心をもって食事をともにし」が実際に行わ れていたのです。これも聖霊が働かなければできないことです。

 第三のことは「パンを裂き」、これは聖餐式です。キリストの臨在を現すものです。パンとぶどう汁をもって、十字架で裂かれたキリストの体と流された血潮を覚えて分かち合ったのです。それはクリスチャンの家で行われたことでしょう。

 そして最後に「祈りをしていた」のです。イエス様は神殿で、「私の家は売り買いするところでなく祈りの家である」 (マタイ 21:13) と言われました。ですから 46 節にある 通り、クリスチャンたちは毎日、神殿 (おそらく神殿の庭)で集まり、祈りをしていたのです。今日でもそうです。教会は祈りの場所です。
いつも、神の言葉を守り、愛の交わり、聖餐をもち、祈りをするなら神様はゆたかに働かれます。

 43節には「すべての人に恐れが生じ」とありますが、クリスチャンもそうでない人の心に も 神に対する畏敬の念が生じ、「不思議としるし」奇跡の御業が行われたのです。

 私は今日でも同じだと思います。神を畏れ敬う中に、神の癒やしや不思議な御業が現れます。そのことを私たちは期待したいと思います。そのことの故に、クリスチャンはますます神を賛美し神を誉めたたえ、周りの人たちは好意を示し、そして主なる神様が救われる人々を加え、一つにされたのです。それが実は聖霊の働きであり、神の御業、教会の誕生であったのです。

 私たちも、御聖霊によって神様を誉めたたえ、神の愛と十字架の赦しをいただき、互いに愛し合い弱さを補い合って、神様を喜ぶ生活―生き方をさせていただきましょう。

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