2023年 2/12
第二主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 コロサイ人への手紙 1章 1~2節
- : 1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、
: 2 コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、
恵みと平安があなたがたにありますように。
メッセージ概要
この手紙は、ローマの獄中にいたパウロがコロサイにいるクリスチャンたちに宛てた手紙です。パウロはそこに行ったことはないようですが、その町の出身であったエパフロディトが、エペソで救われ、コロサイの町にイエス・キリストの救いを伝えたようです。
コロサイという町の名前ですが、巨大な像、偶像という意味があります。そのような像があったのかもしれません。エペソからは160㎞東のトルコの内陸部にありましたが、商業の町でギリシャ人やユダヤ人も来て栄えていたようです。
ですから文化的にギリシャ哲学やユダヤ教律法主義的な生き方の影響もあったようです。今日でも多様化の時代であり、様々な考え方生き方がありますが、何が自分の生き方で大切なものか、そして何が自分を生かしてくれるのかをよく考えなければなりません。
この手紙には、神の奥義であるキリストが語られていると言われます。キリストがどのような方か、私に何の関わりがあるのか、この手紙を通して明らかにしていただきたいと思います。
パウロは、「恵みと平安があなた方にありますように」と言っていますが、私たちにも語られ
ているのです。
1,神の恵み
神の恵みは「無償の贈り物」です。無代価で、受ける資格がないのに与えられた。
パウロはかつて、キリストを迫害する人でした。ナザレのイエスを神とは信じられませんでした。ところがクリスチャンを迫害する中で、復活のキリストに会ったのです。そして彼は、復活、死からのよみがえり新しいいのちを目の当たりにしたのです。まさに驚きであり、目から鱗、心の目が見えるようになったのです。それは真に神様の恵みでした。自分の過ちがすべて赦された。キリストの愛、そして優しさや親切、思いやり、彼の心にキリストの愛が注がれたのです。
彼は嬉しくてたまりませんでした。ですから、彼はローマの牢獄の中にあっても、神様に感謝をささげ、そこで自分に会う人にもキリストの愛を伝えていったのです。
実は、この手紙は、獄中で会った逃亡奴隷、オネシモがコロサイへ持って行ったと言われています。彼は変えられました。逃亡奴隷は捕まったら殺されます。しかしパウロはピレモンへの手紙で、彼を「獄中で生んだわが子オネシモ」と言っています。パウロを通して、オネシモもキリストの愛を受け入れ、まったく変えられたのです。愛の人、そして忠実な人となり、罪を悔い改めてキリストに従う人に変えられたのです。そして、この手紙をコロサイのクリスチャンに届けたのです。
私たちも神の恵みによって、人生変えられます。キリストが一切の負債を十字架で負って、罪を赦して下さる。これほど大きな愛はありません。その愛が私たちに与えられるのです。
2,神の平安
愛ともう一つ大切なものは平安です。
この平安は特別な意味があります。神との和解、神様が自分の過ちを赦して下さることです。パウロは迫害の罪が赦されました。オネシモも逃亡の罪が赦されたのです。それは大きな喜びでした。罪の代価である死からの救いです。その救いに与ったのです。ですから、心は平和です。平安が心を支配するのです。平和に満ちるのです。心の平安は、人との融和を生み出します。自分が赦された、だから相手も赦すことができる。キリストが私を赦して下さった。その心が、パウロにもオネシモにも与えられ、そしてコロサイのクリスチャンたちにも明らかにされていったのです。
それは今日、私たちに伝えられているものです。神様は、私たちにも、柏原また羽曳野に住んでいる私たちにも、キリストを信じる心、失敗が赦される神の豊かな恵みとたましいの平安が豊かにあるようにと、願っておられるのです。